REVIEW
映画『チェチェンへようこそ ―ゲイの粛清―』
ロシア南部のチェチェン共和国が同性愛者を拉致・拷問・虐殺しているという恐ろしい知らせに対し、被害者の救出に立ち上がった活動家たちの姿を描く「いま観るべき映画」です。
ロシア南部、北カフカス地方にあってジョージアと国境を接する小さな国・チェチェン共和国で、ゲイが組織的に拉致され、収容所で拷問を受け、殺されているという信じられないニュースが世界を震撼させたのは2017年春のことでした(こちらの記事をご覧ください)。その後、チェチェンの状況がどうなっているのか、ゲイたちは無事なのか、気がかりでしたが、ほとんど報道もされず…。そんななか、『マーシャ・P・ジョンソンの生と死』のデヴィッド・フランス監督がチェチェンでの迫害の実態に迫るドキュメンタリーを製作し、2月末に公開されるというニュースが流れ、これは観なくてはいけないと思っていました。
奇しくも、この映画『チェチェンへようこそ ―ゲイの粛清―』は、ロシアの軍事侵攻が始まった直後の公開となりました…奇跡というか、何か因縁めいたものを感じずにはいられませんでした。今観るべき映画だと、絶対に観なくてはいけない作品だと思いました。
一方で、私は残虐なシーンや人が殺されるシーンが本当に苦手で、正直、この映画を観るのは気が重かったです…。それでも、使命感に駆られて観に行ったのでした。
レビューをお届けします。(後藤純一)
観終わって、現在のウクライナのLGBTQへの支援も大事ですが、今もチェチェンで日々起こっている迫害から同性愛者たちを救出する活動に携わっているロシアLGBTネットワークの方たちへの支援も本当に大事!という思いを抱きました。
ドキュメンタリーですから、丹念に、慎重に事実を積み重ねていくわけですが、やはり、拷問の様子を伝える生々しい証言(背中にネズミを乗せてその上に熱くした鍋をかぶせ、逃げようとするネズミが皮膚を食い破っていくという話には卒倒しそうになりました)、チェチェンの独裁者であるラムザン・カディロフ首相が「チェチェンには同性愛者などいない」「もし同性愛者がいるなら、カナダへ連れて行け」「民族浄化のために遠い場所へ連れ去ってくれ」と笑いながら言う悪魔的な姿、勇気を出して初めて被害者が名乗り出てロシア連邦に捜査を求める訴えを起こしたのに裁判官があっさり却下する姿(日本の一部の裁判官以上に心がないと感じました)、活動家が必死にかくまい国外脱出の手助けをしようとしているにもかかわらず、状況に耐えることができなくなって死を選ぶ人のことなど、本当に観ていて苦しくなるような、胸も張り裂けんばかりのエピソードの連続でした…。が、残虐なシーンは極力控えめに描く配慮がなされていたため、目を覆ったり耳をふさいだりすることなく観ることはできました(それでも、流血のシーンなどはありますので、苦手な方はご注意ください…)
映画全体のトーンとしては、活動家の方たちが救出に奮闘する姿を中心的に描いているので、前向きな力強さや希望を感じさせるような(ただ重苦しいだけではない)作品になっていたと感じます。無事にチェチェンを脱出し、パートナーや家族と再会を果たすゲイの方の姿など、たくさんの感動もありました。そこが救いです。
これはスゴい!と思ったのは、(身元がバレると危険な)被害者の方たちを、以前だったら、顔にモザイクをかけたりボイスチェンジャーで声を変えたりするようなところを、AIを活用して他人の顔の映像を合成するディープフェイクを応用した「フェイスダブル」という技術や声の吹き替えで、違和感なく別人として見せているところです。顔にモザイク+ボイスチェンジャーの声だと、まるで(万引きした人が告白するシーンみたいな)その人が悪いことをしたかのような印象になりますし、その人のキャラクターや表情がまるで見えなくなってしまいますが、この最新技術によって、生き生きと、被害者の姿や悲しみや苦しみの表情が伝わってきて、しかも匿名性が保たれるところが素晴らしいです。
ラムザン・カディロフが「チェチェンに同性愛者はいない」と言い、ロシア連邦政府も「誰もこの共和国に存在していない人間を拘束などできない。虐待に遭った者は報告するように」とうそぶくことに対して、初めて被害者として証言することを決意したゲイの方が記者会見に臨むシーンで、それまでのフェイクの顔がサーっとはがれ、本当の顔が姿を現したのは、ちょっと感動的でした。まさかドキュメンタリー作品でこのような「映画の魔法」が見られるなんて、思いもよりませんでした。まったく新しい、美しくも鮮やかなカミングアウトのシーンとして記憶されることでしょう。
(なお、『チェチェンへようこそ ―ゲイの粛清―』は2021年度の第93回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー部門にノミネートされましたが、同時に視覚効果部門の候補にもなっています)
身元がバレる危険を冒しながら(いくらAIで顔を変えると言っても、本当に大丈夫なのだろうか…と心配する方も多いでしょうから)多くの同性愛者や支援者たちが撮影を許可したのは、チェチェンの現状を変えるためには(ロシア連邦政府も容認してしまっているので)もう国際社会に訴えるしかないという「背水の陣」的な、一縷の望みをかけてのことだったと思います。被害者だけでなく顔出しで出ている支援者の方も、この映画が公開されればチェチェンには入国できなくなりますし、身に危険が及ぶ可能性もあるのに、それを承知のうえで、この映画に賭けたのです…。
映画評論サイトBANGER!!!の「同性愛者が処刑される国の現実『チェチェンへようこそ -ゲイの粛清-』 フェイク映像技術を武器に命がけで差別と戦う」という記事によると、自身もゲイであるデヴィッド・フランス監督は『ニューヨーカー』誌の記事で「この迫害は政府組織による「血統浄化」作戦であり、チェチェンにおけるLGBTQの根絶を目指すトップダウンの政策である」と書かれていたのを読んで、いてもたってもいられず、調査に行くことを決意したんだそうです。初めは調査のためにロシア入りしたのですが、そのまま撮影が開始され、18ヵ月にわたって撮影が続けられ、この映画が世に出ることになりました。
撮影期間中にロシアLGBTネットワークが脱出させたゲイやレズビアンの人たちは151人にも上ります。それでも、脱出を希望し、待機している人たちはまだ4万人もいるそうです。また、映画の中で語られていましたが、迫害はチェチェンだけでなく、隣のダゲスタン共和国などにも広がっているそうです…。
チェチェンの同性愛者迫害は(プーチン政権が容認しているので)根本的な解決を見ていません。今こうしている間にも、迫害が続いています。日々、救出のために奔走しているロシアLGBTネットワークにも世界からの支援が必要だと思います。チェチェンが現代のナチスだとすれば、彼らは現代のシンドラーであり、杉原千畝なのです。
(調べてみたのですが、ロシアLGBTネットワークの公式サイトは今は見れなくなっていて、Facebookが窓口になっているようです。寄付などの支援を申し出たい方はFacebookからご連絡ください)
チェチェンへようこそ ―ゲイの粛清―
原題:Welcome to CHECHNYA
2020年/米国/107分/G/監督:デヴィッド・フランス
この映画に出演した方が命がけで世界に知らしめたように、チェチェン当局は自国内で秘密裏に同性愛者を迫害し、ラムザン・カディロフは「チェチェンに同性愛者などいないのだから、迫害も何もない」とすっとぼけ、事実が外部に漏れないよう、告発しようとする者の命も狙ってきたということ、ロシア連邦政府も捜査の要請を断り、迫害を容認しているということが明らかになりました。プーチンは、パレードを暴力的に弾圧したり、同性愛プロパガンダ禁止法によって抑圧してきただけでなく、チェチェンで虐殺されている同性愛者を見殺しにしてきたのです。自国の国民ですらそうなのですから、「ウクライナ侵攻後の「暗殺リスト」にLGBTQも含めている」としても不思議ではありません。
あらためて、ウクライナのLGBTQへの支援の必要性を痛感させられます。
【ウクライナのLGBTQ情勢】
ウクライナのLGBTQ団体が「私たちは決してあきらめない。共に勝利する」との声を上げました
https://www.outjapan.co.jp/pride_japan/news/2022/2/28.html
国連でも活躍するLGBTQ団体「Outright」がウクライナのLGBTQへの緊急支援キャンペーンを展開中
https://www.outjapan.co.jp/pride_japan/news/2022/2/29.html