REVIEW
愛と差別と友情とLGBTQ+
なぜ日本では人権の話が通じないのか――その真実を解き明かした名著『愛と差別と友情とLGBTQ+』。25年間NYで米国LGBTQ現代史を目撃してきたジャーナリストの北丸雄二さんが贈る、日本社会へのメッセージです。
(真ん中のカラーグラビアでは、日本からも大勢参加したストーンウォール50周年記念のNYプライドがレポートされています)
中日新聞(東京新聞)NY支局長として1993年にNYに渡り、以後、25年間にわたって米国のエイズ禍やLGBTQの運動にリアルタイムで接し、それを日本にも発信してきたゲイのジャーナリスト・北丸雄二さん。『LGBTヒストリーブック 絶対に諦めなかった人々の100年の闘い』を翻訳した方であり、ゲイカップルと養子の感動の実話を描いた絵本『ぼくらのサブウェイ·ベイビー』の翻訳出版も決まりましたが、そんな北丸さんが日本社会に向けて書き下ろした『愛と差別と友情とLGBTQ+』は、私たちの未来に希望をつなげる贈り物のような本です。レビューをお届けします。(文・後藤純一)
9月初め、千葉県富里市議会で公明党の市議がLGBTQを"病気"と述べて非難されるというニュースがありました(詳細はこちら)。正直、これまで鹿児島市議や足立区議をはじめ多くの議員の問題発言が報道されてきて、また、これだけ世の中にLGBTQの情報があふれているのに、どうして何も学ばないのか…と、ゲンナリさせられました。支援的な立場の方であるにもかかわらず、LGBTQの基本的なことがわかっていないのです。このような公人からの無理解な発言がいったいいつまで繰り返されるのだろうか…。
このようなモヤモヤに見事に答え、「世間」の人権意識の低さに関する問題点を鋭く、わかりやすく説明してくれたのが『愛と差別と友情とLGBTQ+』でした。
北丸さんは2018年に日本に帰国しましたが、杉田水脈議員の「”生産性”がないLGBTに支援は不要」論に対してテレビ番組で「もうそういう時代じゃない」とコメントされていたのを聞いて、猛烈に違和感を覚えたそうです。「本当にもう「そういう時代」じゃないの? いつから? もう「そういう時代」は片がつけられたの?」「その後も足立区議の差別発言や、今年5月の国会議員による「LGBTは種の保存に背く」「道徳的に許されない」発言があって、おそらく彼らには何か重要な情報が根本的に欠損しているに違いないのに、テレビではそこに触れることなく、当然のことのようにLGBTQの肩を持って「もうそういう時代じゃないんです」「多様性の時代なんです」と言う、その空虚感。自分たちには世間の情報の欠落や空洞への責任はないかのように」。ほかにも、無意識の偏見をさらけ出すような事例が、そこらじゅうにあふれていました。
「私たちの『世間』では人権に関して欧米では通じる話を下支えする、基本情報や基礎知識があまりに共有できていない。共有できていないから、文脈も史実も知らぬなかで唐突に導き出す結論が、何周か前の無知や偏見に彩られたものだと気づかないのです」
こうした思いから北丸さんは、「世間」で共有されてこなかった重要な情報、空洞を埋めようとする動機で、この本を上梓しました。たいへんな情熱を持って。しかし、誰にもわかるような言葉で、誠実に(心ある方が、この本を出版するために人々舎という出版社を立ち上げました)
プロローグと前半の「愛と差別と」は、TRPの公式サイトでの連載「LGBTで考える人生の練習問題」がベースとなっています。映画『ボヘミアン・ラプソディ』のPRが「脱ゲイ化」されていたエピソードから始まって、北丸さんが1993年にNYに渡ってまず取り組んだエイズ禍のこと、ロック・ハドソンの死とカミングアウトが米国社会にどれだけの影響を与えたかということ、クローゼットとカムアウト、アイデンティティの政治、そしてクィア女性が始めたBLMやZ世代のムーブメントの話へとつながっていきます。LGBTQの権利回復運動について議論するとき、これらを抜きには語れないような、共通了解となるような重要なことが書かれています。
間にストーンウォール50周年のNYCプライドをレポートするカラーグラビアを挟んで、後半の「友情とLGBTQ+」へと続きます。
後半の最初の章「「男と女」と「公と私」と」こそが、私たち日本人が最も「ハッとさせられ」、気づきが得られる章だと思いました。
歴史の主語はずっと白人異性愛男性であり、女性は社会性を与えられず私的領域に閉じ込められ、「公」に発言することを許されなかった(女性をそのような枠に閉じ込めてきた社会システムが「家父長制」です)、女性たちは「個人的なことは政治的なこと」というスローガンを掲げて立ち上がった、女性解放運動だけでなく公民権運動史上の重要な節目をつくったローザ・パークスやストーンウォール暴動で最初に抵抗を始めたレズビアンやトランス女性たちのように、女性たちこそがラディカルな行動で社会変革を促した…といったくだりはとてもエキサイティングで、目の醒めるような展開でした。
一方、日本では、個人的な善意や思いやりが尊ばれ、それが「公」へと転化していくことがなかなかない、「事を荒立てないで」「穏便に」済まそうという言説で、社会変革が抑圧される、政治家たちはパブリックな政治を語るより、有権者が「身内」だと感じてくれるよう「ぶっちゃけた」「ここだけの話」をしがちで、だからこそ「女性は産む機械」「女性が多いと会議が長引く」などという発言が出てきてしまうのです…。
米国ではパブリックな場所で知らない人どうしでもたくさんしゃべりますが、結婚などプライベートなことには立ち入らない、日本では逆に、公共空間で知らない人に話すことはまずない、「仲良くなるためには恋人や結婚など私生活のことを無遠慮に聞いて、相手と「身内」のような関係性を擬似的に創り上げるのです」。(この辺りは第5章にも書かれていますが)「日本では「公」の空間に「人」がいない、いるのは「ジャガイモ」で、人を人とは思わない、「公」の空間での理不尽や残酷さは、「私」の空間での個々の善意が補填するのです」
いかがでしょうか。本当にそうだなぁと思いませんか?
後半では、セクシュアリティそのものに関する深い話(本質主義と構築主義など)も掘り下げられています。ちょっと難しい部分かもしれません。
電話帳かコロコロコミックかという分厚さで(たとえが昭和ですね…)、ここではとても紹介しきれないくらい多岐にわたるお話が高級な幕の内弁当のようにギッシリ詰まっていますので、美味しそうなところだけつまんでいただくような読み方でも全然OKだと思います。
北丸さん自身のライフヒストリーでもあり、最良の現代アメリカ史、LGBTQ的なNYガイドでもあると思います。
すでに重版が決定し、現在入手が困難なほど売れているそうですが、皆様におかれましても、ぜひ職場に一冊、この本を備えていただき、ジェンダー平等やLGBTQ支援をはじめダイバーシティ&インクルージョンやCSR、人権、SDGsにもつながる「公」の言葉を紡ぐための礎としていただければ幸いです。