REVIEW
『トランスジェンダーと性別変更』
特例法の不妊化要件を違憲だとする最高裁判決を受けて、不妊化要件だけではなく、ほかにも見直すべき点が多々あるのではないかという趣旨で、国会での実りある議論を促すための前提となる知見がまとめられた岩波新書です
『トランスジェンダー問題: 議論は正義のために』の訳者であり『トランスジェンダー入門』の共著者である高井ゆと里さんが、岩波書店から出した新著です。2023年10月の性同一性障害特例法の4号要件(不妊化要件)を違憲だとする 最高裁判決を受けて、国会で特例法を改正することが求められますが、果たして4号要件だけ撤廃すればよいのか、(特例法は制定後ほとんど見直されず20年も放置されてきたわけですが)国際的な基準にも鑑み、ほかにも見直すべき点が多々あるのではないか、という趣旨で、国会での実りある議論を促すための前提となる知見を、当事者の活動家や弁護士、学者、医者が解説し、それを高井さんがまとめています。
「はじめに」で高井さんは、この岩波ブックレットが出版されることになった経緯について説明し、4号要件だけでなく、人権を侵害したり制約したりしているその他の要件についても見直しが求められるのではないか、として、
・疾患名としては消滅した性同一性障害を使い続けるのか
・病気や障害ではないのに、医師の診断書を条件とするのはどうか
・民法の成人年齢と性別変更の許可される年齢を揃える必要性があるか
・すでに結婚している人は離婚しないと性別変更できないが、未婚要件を放置するのか
・日本にしかない異様な「子なし要件」は撤廃すべきではないか
・法律の枠組み全体を見直すとしたら、性別変更の手続きにはどのようなプロセスがありうるのか
といった問題を提起しています。
第1章で、特例法制定時にロビーイングを行なっていた(2000年代の東京のパレードの理事も務めていた)トランス女性活動家の野宮亜紀さんが、当事者であり活動家である立場から、特例法ができるまでの経緯と、制定後の「誤算」について、また、そもそも当事者がなぜ法的性別変更が必要なのかについて解説しています。
トランスジェンダーのリアリティ、性別移行の実態、手術を必須とする法律への当時の当事者の反応(反発も多かったそうです)、当時の国際的な法的状況(多くの国で手術を必須としていました)などから、特例法があのようなかたちで成立していったのだという経緯が説明されています。
シスジェンダーの人たちは手術を受けて帰ってきたら性別が変わっているというイメージをお持ちかもしれませんが、手術を受けただけで外見が変わるわけではない(むしろホルモン治療の方が体つきや声、ひげなどに影響を及ぼす)ということや、手術を受けてもトランス女性が生殖機能を持てるわけではないし、完全に女性になれるわけではないため、「手術を受けても仕方がない」と考える当事者も多い、といったお話はとてもリアルです。
「誤算」というのは、当事者団体が要望していないのに、議員から出てきた法案に「子なし要件」が入っていて驚愕したこと、法律はいったん成立してから見直しをかけていくものであるという議員さんのアドバイスを信じていたが、まさか20年もの間、法改正が進まないとは思ってもみなかったということでした。
制定当時、「子なし要件」は本当に多くの方の怒りや嘆きを招き、「我が子を殺さなければ本来の性別になれないのか」という悲痛な叫びが聞かれましたが、なぜこの法案を呑むという苦渋の選択をしなければいけなかったのかということについても詳しく語られています。
第2章では、悪意に直面するトランスジェンダーの方たちを守るために多くのメディアで発言し(例えば こちら)、 TRPの監事も務めている立石結夏弁護士が、特例法が含む法的な問題について解説しています。
特に子なし要件を撤廃すべき理由について、4号要件と5号要件が撤廃されたのち、トランス男性やトランス女性が子をもうける可能性もあるわけだから、そうすると性別変更手続き時点でなぜ子どもがいてはいけないのか、説明がつかなくなり、子なし要件が無意味になってしまう、と鮮やかな指摘をしていて、唸らされました。
第3章では、やはりLGBTQの権利擁護について度々新聞などでコメントしてきた法学者の谷口洋幸さんが、国際人権基準の観点から、特例法の問題と、あるべき法の姿、日本国家の義務について解説しています。
日本の特例法の要件は厳しすぎる、人権侵害だと国連から度々勧告を受けています。日本の特例法は国際的な人権基準に悖ると見なされているのです。最高裁判決だけでなく、そういう意味でも国は特例法を抜本的に改正する必要に迫られています。
第4章では長年トランスジェンダーの診察や治療に当たってきた医師でGID学会理事長でもある岡山大の中塚幹也教授が、医師の立場から、当事者の人たちに必要な医療がもたらす身体の変化、法的性別変更に当たって医師が果たせる役割について語っています。精神科医は日本精神神経学会の「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」に沿って診断しますが、必要があれば産婦人科や泌尿器科医なども一緒に専門医療チームを組んで、適応判定会議を開き、治療が必要かどうか判定する、未成年に二次性徴抑制療法を施すこともある、といった具体的な事柄をいろいろ知ることができました。
「おわりに」で高井さんは、問題は特例法だけではない、と強調します。家族から絶縁される人もいるし、奇異の目で見られたりもする、シスジェンダーのためにデザインされ、トランスジェンダーを排除してしまう社会のありようを、少しずつ変えていくことが求められる、と結ばれます。
薄くてあっという間に読めてしまう本でありながら、各分野のオーソリティであるベストな書き手がトランスジェンダーに関する基本的な知識やこれまであまり知られていなかったようなことも書き、目から鱗が落ちたり、気づきを得られたりします。
ぜひ読んでみてください。
(文:後藤純一)