REVIEW
マイノリティを守るためには制度も大切だということを説く本:『差別は思いやりでは解決しない ジェンダーやLGBTQから考える』
LGBT法連合会の神谷悠一さんの初の単著『差別は思いやりでは解決しない ジェンダーやLGBTQから考える』をご紹介します
日本に生まれ育った方の多くは、「お年寄りや体の不自由な人に席を譲りましょう」というのがいい例だと思いますが、社会的弱者・マイノリティである人には思いやりの心を持って接しましょうということが「心がけ」として実によく浸透していて、みなさん電車では席を譲るし、転んだ人がいればすぐさま助けるし、実に礼儀正しく、細かい気配りもします。素晴らしい国民性。「思いやり」の国と言っても過言ではないでしょう。一方で、「私はこういうことで困っています」と訴え、権利を主張することには、驚くほど厳しい反応を示したりもします。
これまで長い間、性的マイノリティの人たちの訴えは聞き入れられず、権利擁護は一向に進んできませんでした。ここ10年くらいでようやく社会の状況も変わってきましたが、まだまだ道半ばです。それはこの、”弱い人”、”かわいそうな人”への「思いやり」は示す一方で、権利の主張(デモなど)には異様に厳しいという、日本社会のアンビバレントとも思える姿と関係があるのでしょうか。
神谷悠一さんと松岡宗嗣さんは共著『LGBTとハラスメント』のなかで、LGBTの話をすると「いやいや、私は特に差別しないし、気にしてないよ」とおっしゃる方が、気にしていないから「何もしなくていい」「困難の原因になっている職場の問題を変えるつもりはない」というスタンスの表明になっている、一見ポジティブに見えるけど無関心の表れだったりするという、実は「かなり対応が難しい人」だという指摘をしています(ハッとさせられました)。今回の本『差別は思いやりでは解決しない』は、このことを詳しく掘り下げ、解説した本だと言えます。思いやりだけでは解決しないし、思いやりが不具合を起こすこともある、一定の制度や取組みの指標・ガイドラインも必要だということを説く本です。
第1章「ジェンダー課題における「思いやり」の限界」では、大学で講義をした際、「もっと思いやりを持とうと思います」といった感想が多数を占めたことや、企業での研修の際に社長さんが(それまですごくいいことを言っていたのに)「もっと思いやりを」という言葉で締めていたことに対して「無意識の偏見もあるのに、どうやって思いやりで解決できるのだろう」と思ってしまったこと…などを挙げながら、「思いやり」、「周知を徹底」、「私は気にしない」などで解決しない事例を掘り下げていきます。「思いやり」では個々人の気に入る/気に入らないに左右され、不具合が生じてしまうケースもある、という説明もありました。
神谷さんは「思いやり」だけでなく制度「も」不可欠ではないかと問います。
日本には人権に関する法律がほとんどなく、「人権教育・啓発推進法」が唯一ですが、この法は、人権教育とはこのように行なうものという方向性を示すのに役立ってはいるものの、実際の権利の保障には至っていないという致命的な課題がある、日本では権利が守られたり保障されたりする場面がとても少なく(LGBTQ差別禁止法も未だ成立を見ていません)、人々も権利が法で保障された経験が少ないがゆえに、「思いやり」では保障されない人権や権利に思い至らないのかもしれないと指摘されています(私は法律に詳しくないので、なるほどそうだったのか…と目から鱗が落ちる思いでした)
第2章「LGBTQ課題における「思いやり」の落とし穴」では、冒頭、神谷さんがLGBTQ関連の仕事のついでに帰省した際、親族の集まりがセッティングされ、しかし、90歳の祖父にセクシュアリティのことが伝わってしまうとショックを受けるから、LGBTQのことには触れずに和やかにお話してほしいと親に言われ、今やっている仕事も、帰省の理由もLGBTQのことなのに、それを言わないのはものすごくつらかった、最善を尽くしたものの、数時間で退散してしまい、そのあと親から「思いやりがない」と責められたというエピソードが紹介されていました。まさに思いやり「だけ」では解決せず、むしろ不具合が起こる事例です。
そのあと、カミングアウトをめぐるいろいろーー職場でカミングアウトすると課題を解決しなければいけないと思われがちだということ、「カミングアウトしなきゃいいんじゃない?」は思いやりなのか、といったことなどが語られました。
神谷さんが、「思いやり」だけでは解決しないことや「何も気にしない」がなぜ問題なのか、についての講演を行なったあと、「別に誰を好きでも関係ないんじゃない?」「何も特別なことはしなくていいんじゃない?」というまさに「何も気にしない」発言が出た、という話には、ひっくり返そうになりました。もしかしたら「理解」や「共感」(これも「思いやり」のバリエーションですよね)の能力に長けていない方なのかもしれないし、何か強い固定観念にとらわれてしまっている方なのかもしれませんが、いずれにせよ、そういうタイプの方が社長だったり人事部長だったりすると、そりゃあ社内での施策も進みませんよね…。だからこそ、パワハラ防止法のような法律・制度が必要なのだし、誰もが一定程度の水準で取り組むことができるLGBTQ施策の指標やガイドラインの存在が重要なのだと言えます。
第3章は「「女性」vs.「トランスジェンダー」という虚構」という章です。
ダイアン・J.グッドマンの『真のダイバーシティをめざして―特権に無自覚なマジョリティのための社会的公正教育』は、「私はいい人で差別なんかしていない」と思っている方たちが差別を自分の問題として向き合えるようになるような社会的公正教育の名著ですが、この本に書かれている社会的公正への「抵抗」ということが取り上げられています。マジョリティ集団に属する人は、自身の特権を認識しておらず、それを認めることに「抵抗」を示すことがある、「偏見をなくすためには、自分なりの解釈や思い込みを自覚し、検証する必要があるが、そのように自己を深く突き詰めて考えようとしない気持ちこそが抵抗なのだ」といいます。神谷さんはこれこそが「思いやり」が陥りがちな問題そのものではないかと指摘します(鋭いですね)
「差別をしてしまうのは必ずしも個人のせいだけではなく、社会や文化などといった構造によって個人は動かされているし、個人もそのような社会や文化を再生産していると言えるでしょう。だから、個人の思いやりでは限界があるのです」(この記述はホモフォビアやトランスフォビアについての的確な説明でもあると思いました)
「大事なことは、差別なのではないかと頭をよぎったり、指摘を受けたりした時に、社会的な背景も含めて冷静に考え直し、自分の頭の中の無意識の分類やカテゴライズの修正を厭わないことでしょう」
こう述べて、このことを前提に、トランスジェンダーと女性の権利があたかも対立するかのような言説の虚構について、説明していきます(これまで弊社のメルマガやPRIDE JAPANを読んでくださった方には、何度となくお伝えしてたきたようなお話です)
第4章は「ジェンダー課題における制度と実践」、第5章は「LGBTQ課題における制度と実践」となっています(映画もそうですが、あまり全てを詳しく紹介してしまうと、すっかり見た気になってしまう…という話があると思いますので、あえて紹介はこれくらいに留めておきます)
ちょうどこのレビューを挙げようと思っていたときに、『LGBTを読みとく ─クィア・スタディーズ入門』の著者である森山至貴さんと神谷さんとの対談である「差別は「思いやり」ではなく「制度」で解決すべきである」という記事が掲載されました。この本の意味や意義を実によく掘り下げ、噛み砕いてお話してくださっています。
森山さんは、「人権というのは誰かが誰かを傷つけようとしたときに、それを跳ね返すことができる道具のようなものだと思うのですが、その「跳ね返す」ことに対してなぜか強い抵抗感を持つ人がいるんですよね」「本来、人の優しさを頼みにしなくても人は守られるというのが人権の考え方のはずなのに、守られるかどうかは助ける側の善意にかかっているという、ねじれた状況がいろんな場面で起こっている気がします」と指摘していました。本当にその通りだと思います。
それから、こういうお話もよかったです。クィア理論のサラ・アーメッドという方が書いた『フェミニスト・キルジョイ』という本で、フェミニストは「ここにこういう問題がありますよ」と指摘すると、いつも「おまえがそういうことを言うからいけないんだ」と、まるで指摘した側に問題があるかのように言われ、「キルジョイ(楽しみに水を差す人)」扱いされてきたと述べられている、それを読んで、「思いやり」という言葉にも、「水を差さない」「キルジョイにならない」という意味合いが含まれてしまっているんじゃないかと思った、「問題がここにある」と指摘して、火花を散らして議論して解決するということには絶対に至らない、常にそういう位置にとどまる言葉が「思いやり」なんじゃないかということが述べられていて、実に刺激的でした。
とても素晴らしい記事ですので、ぜひ読んでみてください。きっと私のレビューなどよりも、この本を買わなくてはという気持ちにさせられると思います。
もう一つネット上の記事をご紹介します(今こういう話がいかに多いかということを物語っていると思いますが)
「無知の暴力性と粗暴な善意:オコエ桃仁花選手のツイートを受けて。」という記事で、オコエ選手にDMで送られてきた人種差別としか言いようのない暴言について、オコエさんに「あなたは素敵な人だ」「美しい」などと応援の言葉を送る人や、「気にしないで」というリプライ、「肌の色は関係ないよ」というような「カラーブラインドネス」なスタンスのコメント、「私は黒人の肌が好き!」というエキゾチズム的な発言など、これが人種差別だと認識できずに応援コメントを送る方がいかに多いかということが述べられていて、その分析力に感心するとともに、LGBTQと同じだ!と思いました(「あなたは素敵な人だ」「美しい」「気にしないで」「セクシャリティは関係ないよ」「私はゲイのキャラが好き!」)
この記事を書いた方は、「一緒に怒ってくれることほど嬉しいものはありません」と語っています。すごくよくわかります。LGBTQ差別に対し、一緒に怒ってくれて、制度を変えようと一緒に動いてくれる人。それこそがアライです。
最後に、蛇足かもしれませんが、今回のテーマに非常に深く関わっていると思われるキー概念として「温情主義」「パターナリズム 」が挙げられるということはお伝えしてもよいのではないかと思います。ぜひ検索サイトで調べてみてください。
(文・後藤純一)
差別は思いやりでは解決しない ジェンダーやLGBTQから考える (集英社新書)
著:神谷悠一/集英社