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【追悼】「一人パレード」を行なったキャンディ・ミルキィさん

 キャンディ・ミルキィさんが2025年3月27日に亡くなりました。親族の方のFacebook投稿によると、5年前に「特発性間質性肺炎」という難病の診断を受けていて(宣告されてからの平均余命は5年)、この3月19日に入院し、ICU(集中治療室)に入っていたそうです。
 親族の方によると、「最期まで、キャンディキャンディ博物館のこと、Facebookのこと、そして皆様のことを気にかけていました。電子機器が持ち込めない病室でも、印刷された皆様のコメントを眺めては笑顔を浮かべておりました」とのことでした。


 キャンディ・ミルキィさんは漫画『キャンディ・キャンディ』が大好きで、『キャンディ・キャンディ』をイメージして手作りした赤いフリフリの衣装を着て原宿などに出没し、テレビや雑誌などにも取り上げられていた有名人です。(1996年の『クィア・パラダイス 「性」の迷宮へようこそ』にも登場しています)
 1987年から2005年までアマチュア女装者向けの雑誌『ひまわり』を不定期で刊行し、『くいーん』と双璧をなしていました。こうした雑誌は、インターネットがない時代、メイク道具をどこで買ったらいいのかなど、女装に関する情報や、女装を愛する人たちどうしの交流の機会を提供する貴重な場になっていました。

 キャンディさんは2000年台、代々木公園で開催されたパレードにも毎年参加していましたが、2008年8月のパレードが中止となったとき、「夏の最大のイベント、私にとっては盆や正月より大切な日だった。ぽっかり空いてしまった夏を埋めるべく、一人でも行進します」とmixiに投稿し、思いに共感した7名のゲイの方たちと『バディ』誌などで活躍していたフォトグラファーの下村しのぶさんが一緒に歩きました。やはりパレードがなかった2009年と2011年にも、キャンディさんが同様に「一人パレード」を行ない、数名の方たちが一緒に歩きました。
(2011年のキャンディ・ミルキィさんの一人パレードがg-lad xxに掲載されています。よろしければご覧ください)
 パレードがなくて残念、と思っていた方は多かったはずですが、こうして「一人でも歩きます」と言って仲間をつのり、なくなったパレードへの思いを共有しながら(2011年のときは「東京プライドパレード成功祈願」と銘打たれていました)暑い夏の日に代々木公園に集まって渋谷・原宿の街を一緒に歩くことができたのは、忘れられない経験です。そのような場をつくってくださったことに、心から感謝します。

 普段はあまり二丁目やLGBTQコミュニティにかかわることは多くなかったと思いますが、(世間の人が何と言おうと、どんな目で見られようと)女装への愛を貫き、こうしてパレードのときには一緒に歩き、「一人パレード」を主催してパレードを応援してくれたキャンディさんは、間違いなくぼくらの仲間だったと思いますし、大切な友人でした。

 最後にお会いしたのは2022年に渋谷区立松濤美術館で開催された『装いの力ー異性装の日本史』展のときでした。そのような難病と闘っていらしたとはつゆ知らず…またお会いしたかったです。本当に残念です。心よりご冥福をお祈りします。

(後藤純一)


【追記】2025.3.28
 青森レインボーパレードさんがXで追悼コメントを寄せています。
「ARP第一回から、応援の声をいつも届けてくれていたキャンディ・H・ミルキィさんが亡くなりました。
どの街にいても、歩き出せばパレードは始まることを身を以て教えてくれた先輩であり、仲間でした。
ご冥福をお祈りします。キャンディさん、ありがとう。」


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