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【追悼】映画『94歳のゲイ』の長谷忠さん

 ドキュメンタリー映画『94歳のゲイ』に主演した長谷忠さんが11月10日、心不全のため亡くなりました。95歳でした。葬儀には通っていた紙芝居劇団の仲間や、映画でも描かれているゲイの友人、ボーン・クロイドさんらも参列しました。後日、お別れの会も開かれる予定だそうです。

 2021年に「死ぬ前に女になりたかった」という91歳の方が一日だけ女装して歌い踊る「ボールルーム」が釜ケ崎で開催とのニュースがありました。これまでゲイであることを誰にも言えず、孤独に生きてきた91歳の長谷忠さんが、釜ケ崎の街で活動する若者たちと知り合い、彼らがニューヨークの(映画『Paris Is Burning(パリ、夜は眠らない)』や、ドラマ『POSE』のような)ボールルームになぞらえた「カマボール」を開いてくれて、そこで生まれて初めて「死ぬ前に女になりたかった」という夢を叶えることができたという、涙を禁じえないお話でした。 
 長谷さんは、その後も何度か新聞などに取り上げられてきましたが、大阪のMBS毎日放送が長谷さんに密着したドキュメンタリー番組「93歳のゲイ~厳しい時代を生き抜いて~」を製作し、2022年6月26日に放送されました。
 男が好きということを「絶対に言われへん」時代を生き、ずっと思いを胸に秘めたまま、セックスすらせず、90近くなるまで誰にもゲイだと知られずに孤独に生きてきた長谷忠さんの人生の物語には、ちょっとひとことでは言い表せないような、感動や感慨がありました。
 このドキュメンタリーが大きな反響を呼び、さらに映像を追加してドキュメンタリー映画『94歳のゲイ』として全国で公開されることになりました。今年4月に東京で初日を迎え、長谷さんは生まれて初めて上京して舞台挨拶に登場し、東京レインボープライドのパレードにも参加しました。パレードを初めて体験した長谷さんは「こんなん初めて知ったよ。びっくりしたわ。ゲイの人がこんなにたくさんいるとは知らなかった」と語っていました。  

 最近は大学の授業にも招かれてお話したりもしていたそうです。
「今の時代に長谷さんが生まれていたら、生き方はどう変わった?」と聞かれた長谷さんは、「好きな男がいたら結婚するわよ。結婚して周囲が認めなくても二人の生活をやったら楽しいやんか」と答えていました。

 結局、95年の生涯でただの一度も、恋愛もセックスすらも経験しなかった長谷さん。しかし、晩年にカムアウトして、女装してボールルームに出演したり、自身の生涯を描いた映画に主演したり、ボーン・クロイドさんというゲイの友人ができたり、東京のパレードにも参加したりできたのは、本当によかったですよね。人生何が起こるかわからない、生きていればきっといいことがある、という希望を大勢の人たちに与えてくれたのではないでしょうか。

 
 そして(長谷さんよりも前に亡くなってしまいましたが)同じゲイとして長谷さんのことを気にかけ、外の世界に連れ出してくれたケアマネージャーの梅田さんの存在も忘れてはいけないと思います。梅田さんがいなければ、長谷さんはずっとクローゼットのままで、脚光を浴びることもなかったかもしれません。
 『94歳のゲイ』の吉川監督が「第二の主人公」と語るのが、長谷さんを支えたケアマネージャーの梅田政宏さんです。西成地区でLGBTQの方たちを支援する活動をしていた梅田さんは、長谷さんと出会い、長谷さんも同じゲイである梅田さんに心を開き、二人は友達になります(映画で描かれている通りです)
 朝日新聞の「ドキュメンタリー映画「94歳のゲイ」と、支えた第二の主人公」という記事に、梅田さんの人となりがとてもよく描かれていて、胸が熱くなります。この記事を書いた花房さんは、2014年12月、女性カップルが性的マイノリティの老後をテーマに開いた勉強会で梅田さんと出会ったそうです。梅田さんは48歳となったその年、母の陸美さんにゲイだとカムアウトし、生まれ育った西成にパートナーの男性を連れて戻ってきたといいます。そして、実家を改装し、居宅介護支援事業所「にじいろ家族」を立ち上げました。西成で紛れるように生きる性的マイノリティの高齢者に目を配りました。町内会で役員になり、同業の介護事業者や路上生活者の支援団体の会合に顔を出し、年末年始は炊き出しやパトロールのボランティアに入りました。行く先々で「ここにも性的マイノリティはいる」と話し、勉強会を主催し、人脈を広げました。飲み会では「『ただのおばさん』でございます」とおちゃらけ、下品な冗談で場を和ませつつ、不快に感じたかもしれない人へのフォローを忘れなかったそうです。花房さんは梅田さんを慕い、昼夜を問わず突然の電話で話を聞いてもらったといいます。 
 梅田さんは「93歳のゲイ~厳しい時代を生き抜いて~」が放送された2日後に、急性心不全で亡くなりました。監督の吉川さんは、梅田さんと最後に会った日の別れ際、「もし吉川さんの子どもが同性愛者でも、責めないであげてくださいね。誰が敵になっても、親さえ認めてくれれば救われるんです」と語ったそうです。梅田さんは「ゲイで生きていてよかった」とも話していたそうです。本当に惜しい人を亡くしました。
 
 長谷さん、今頃は天国で梅田さんに会えているでしょうか。 
 お二人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。  
 
 
参考記事:
“95歳のゲイ”長谷忠さんが死去 同性愛への偏見に苦しみ続けた人生 ドキュメンタリー映画『94歳のゲイ』が今年全国で公開(毎日放送)
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1554492
 

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