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いろんなLGBTQの方たちがメディアにフィーチャーされています

 テレビや新聞、オンラインメディアなどがLGBTQにインタビューしたり密着取材して報道するケースがここ数年、とても多くなってきました。90年代まではテレビに出る当事者はほとんどいませんでしたが、今は本当にたくさんの方が顔出しで登場している(できるようになった)ということ、メディアの側も偏見を払拭し、好意的、支援的なスタンスで報道するようになったということで、時代と社会の変化をしみじみと感じさせます。最近はパリ五輪があったためか、アスリートや、パラリンピックでリポーターを務めた方などを取り上げる記事が目立ちました。ここ数ヵ月間にメディアに取り上げられた多様なLGBTQの方の記事をまとめてご紹介してみます。
 

 毎日新聞の「カミングアウトした元剣士 失われたもう一つの「自分らしさ」」という記事で、法政大スポーツ健康学部4年生の竹歳幸大さんのことがフィーチャーされていました。竹歳さんはトランス女性で、新入生向けのオリエンテーションで、学部生を代表してあいさつに立ち、「大学生活で何か困ったことや相談したいことがあれば、私に声をかけてください」と語りました。
 竹歳さんは小学校の頃から剣道に打ち込み、大会優勝経験もある人でした。高校生の頃にトランスジェンダーだと自覚し、大学に入学して最初のオリエンテーションでカムアウトしました。トレーナーの仕事に就きたいと思い、スポーツ健康学部に入学したものの、トランス女性として剣道を続けることが難しく、スポーツ実習も避けるようになり、2年生になってスポーツ実習のないスポーツビジネスコースに変更しました。「何も考えず、リラックスして、あるがままに。なぜそんなふうにして、スポーツを思い切り楽しめないのだろうか」と竹歳さんは語ります。今後は大学院に進学し、スポーツとトランスジェンダーについて研究しようと考えているそうです。
 

 毎日新聞の「カミングアウトに「気持ち悪い」 娘の葛藤、母の真意は…」という記事では、東海大大学院生の斉藤奈月さんのカミングアウトの経験が紹介されていました。
 兄と弟の3人きょうだいで、ウルトラマンごっこをして遊ぶ活発な子だった斉藤さんは、ワンピースやスカートなども苦手で着たがらなかったそうです。中3のときに女性に初恋をしました。保健体育の教科書に「思春期は性への関心も高まり異性のことが気になるようになる」と書いてあるのを読んで「自分は間違った人間だ」と自分自身を否定するようになり、誰にも言えず、しかし高校3年で初めて彼女ができて「両思いで相手と心が通じ合うことに大きな幸せを感じた。この気持ちを誰かに認めてほしい、共有したいと思うようになった」といいます。
 20歳の時、勇気を出してお母さんにカムアウトしたものの、みるみるその表情が曇り、「えっ、気持ち悪」と言われたそうです。手が震え、何を言ったらいいかわからなかったそうです。しかし、小学校の教師だったお母さんが、自分と同じように悩み苦しんできた子どもたちに「気持ち悪い」などと言わないように、との思いもあり、自らもLGBTQについて勉強し、お母さんに丁寧に説明し、やがて理解を得られるようになったそうです。
 斉藤さんは保健体育の教師を目指して教職課程で学び、大学院にも進み、最近は性の悩みを持つ子どもたちのために自身の体験を話したりする活動をしているそうです。


 7月28日の集英社オンラインには「子どもを授かったゲイ夫夫(ふうふ)が「親のエゴだろ」「子どもがグレそう」との心ない批判に思うこと。将来、娘に「なんでうちにはお母さんがいないの?」って聞かれたら…」という記事が掲載されました。
 千葉県で小児科の看護師として働くハヤトさんと精神科の訪問看護師として働くタカフミさんは、2018年に結婚式を挙げ、現在は1歳の娘さんと一緒に暮らしています。ハヤトさんがSNSで海外のゲイファーザーたちの写真を見ていて「日本でもできるかな?」とタカフミさんに言ったら「実は僕も子どもを育てたいんだよね」って言われて、ブログに「いつか日本で子どもを育てられたらな」と投稿、すると3組のレズビアンカップルから「協力して授かりませんか」というお話をいただき、そのなかのいちばん意見があったカップルと6年~7年くらいかけて細かいところまで話し合い、司法書士に合意書を作ってもらったうえで、お子さんを授かりました。今はそれぞれの家庭に子どもがいて、定期的に会ったり、プレゼントを送り合ったりしているそうです。保育園にも市役所にもオープンにしていて、面と向かって何か言われたことはないものの、SNSでは「子どもがグレそう」「親のエゴだろ」という心ない声が届くこともあるそうです。最初はショックでしたが、今では「顔も見たことない人に言われたところで、自分たちが傷つくのは時間の無駄だな」と思うようになったそうです。「なかには、パパもママもいるのに虐待されてしまい悲惨な状況にあるなど、すごくかわいそうな子も見てきました。個人的には、愛情をかけられなかった子どもが不幸になってしまうのではないかと思っています」とハヤトさん。タカフミさんは「娘がもう少し大きくなったら「何でうちにはお母さんがいないの?」って聞いてくると思います。そのときどう答えるかは、娘が生まれる前から二人でけっこう話し合っています。そこを変に隠してしまうと、娘が「自分は悪いことをしているんじゃないか」と思ってしまうかもしれない。それが嫌なので、いろんな家庭があるんだよというのを隠さずに伝えていこうと思っています」と語ります。
 とても素敵なお話でした。みなさんの家族が幸せに暮らしていけることをお祈りします。


 7月29日の『日刊ゲンダイ』に、29年前に堂々とレズビアンであることをカムアウトしたレジェンドである、バンド「東京少年」の元ボーカル・笹野みちるさんへのインタビューが掲載されました。
 笹野さんはまず、「今は認知され、差別や偏見がだいぶ薄れましたよね。とくに東京の中高生などは、周りにいるのが普通という感覚で、素晴らしいと思います」と語りました。1995年に『Coming OUT!』を出版した際は、誹謗中傷などはほとんどなく、当事者から称賛や応援の手紙をたくさんいただいたそうですが、高揚の反動でうつになり、一時期は京都の実家に戻って療養、2003年に当時のカノジョが東京へ転勤になったため、一緒に上京し、それからずっと東京に暮らしています。現在は障害者福祉施設で正社員として働いているそうです。並行して音楽活動も続けていて、「京都町内会バンド」やバンド内ユニット「ミチルンサトコ」、ソロでも活動し、月1回ほどライブを行なっています(2009年にTOKYO Pride Festivalに出演したり、2017年のレインボーフェスタ!のトリを務めたり、何度もプライドイベントに出演しています。東京少年の『陽のあたる坂道で』をレインボーフェスタ!のテーマソングにしてくれたりもしました)。「音楽って、“良き思い”と理にかなった努力が報われて、人気につながる世界じゃない。運や才能に左右される苦しさがあり、上っ面ばかり気にする世界であることにも疑問を感じていました。そうではなく、本当に社会で必要とされてる仕事がしたい、障害者を支える仕事はその究極だ、と。その思いからしばらく離れていましたが、紆余曲折を経て、ふと気がついたら障害者福祉の仕事に行き着いていました。不思議ですね」


 7月30日の「TimeOut Tokyo」に、5月に開催されたドラァグクイーンイベント「OPULENCE」vol.4の新人ドラァグバトルで優勝したデレク・トロさんのインタビューが掲載されました。デレク・トロさんはフィリピン出身のドラァグキングで、フリーランスで映画監督をしているそうです(※ドラァグキングは、日本ではあまりなじみがないかもしれませんが、主にクィア女性やトランス男性がヒゲを描いたりして男性性を誇張した格好でパフォーマンスするものを指します)
 デレクさんは2010年に来日してReynaさん(今のパートナーの方)と出会い、彼女が主催するLGBTQ+イベント「Qlove」のビデオ制作に携わったことで、ドラァグやLGBTQ+コミュニティとつながりを持つようになったそうです。東京のボールルームコミュニティ「tokyo kiki lounge」が主催するイベントに参加したことをきっかけにドラァグキングを志し、2022年のドラァグキングのイベント「Kings of Tokyo」でデビューしました。そしてReynaさんの支えもあって「Sparkle」で優勝することができました。
「2年前にReynaとパートナーシップ宣誓制度をするために婚約したのですが、クィアカップルとしてこの社会で生活する中で困難に感じることもありますし、現在もどのように結婚するかを模索中です。東京都では、同性カップルに対してパートナーシップ宣誓制度が適用されます。でも正直、これは単なる証明書のようなものです。結婚したカップルと同様に法律上で家族として扱われるわけでもなく、どこでも私たちが受け入れられるわけでもありません。当事者であることで直接的な暴力や嫌がらせを受けた経験はありませんが、恐怖心は常にあります。だからこそ、私は婚姻の自由が認められるために、ドラァグを通じてメッセージを伝えていきたいと思っています」


 8月4日の東海テレビ「同性同士も“いいふうふ”に…パートナーシップ制度で認められた男性カップル 踏み出した平等への第一歩」では、岐阜県のパートナーシップ制度で宣誓第1号となった男性カップルが紹介されています。お二人はこの制度をきっかけにご家族や友人にカミングアウトしたそうで、今は、同じ悩みを抱えている人たちに「勇気や希望を与えたい」と、新たな人生を歩み始めているそうです。ぜひ動画でご覧ください。
 
 

 8月8日のwebマガジン「mi-mollet」の記事「「障害者リポーター」から「リポーター」へ。三上大進さんが苦悩した東京オリンピック・パラリンピックで、選手から気づかされたこと」では、生まれつき左手の指が2本という左上肢機能障害を持ち、性的マイノリティでもある三上大進さんのことが紹介されています。
 三上さんは2018年にNHKに入局し、業界初となる障がいのあるキャスター・リポーターとして2018平昌、2020東京パラリンピックでリポーターを務めました。リポーターの経験を経て三上さんは「自分自身の「チガイ」を受け入れることができた深さの分だけ、誰かの「チガイ」を受け入れられるようになるということ」に気づいたといいます。性的マイノリティとしての語りは多くはないのですが、気づかされることの多い、とてもいいお話でしたので、読んでみてください。


 8月8日の『週刊SPA!』の「44歳で「ヘビの刺青」を入れた女性の壮絶な半生。両親の死を経て「今がもっとも楽しい」」では、都内SM店に勤務しながらショーパフォーマーとしても活躍しているバイセクシュアルの緒月月緒(おづきつきお)さんのことがフィーチャーされています。複雑な家庭環境で苦労し、義父にレイプされ、18歳からピンクサロンで働いて家族を養い、24歳の頃に独立し、その後、義父が自死…「波乱万丈」という一言では言い表せないほど壮絶な人生を歩んできた緒月さんですが、現在は同性のパートナーがいて、来年には同性婚(結婚式を挙げたりパートナーシップ宣誓をするということでしょう)も考えているそうです(本当によかった。お幸せに!と申し上げたいです)

 
 最後に、杉山文野さんがパリ五輪の期間中、時事通信に寄稿したコラム記事をご紹介します。杉山文野さんはフェンシング元日本女子代表で、トランス男性であることをカムアウトして活動し、東京レインボープライドの共同代表をつとめ、現在はIOCの理事も務めています。
「私がフェンシング選手として現役引退する2006年までは、LGBTQ(性的少数者)に関する情報は皆無に近く、「男性らしくありたい」と思うと競技者としての人生はなかったし、「競技者としていたい」と思うと自分らしくいられなかった。当時はこの二つを両立することは考えられず、逃げるようにスポーツ界を去って引退した私からすると、自分自身を発信できる時代になってきたことは非常に感慨深い。強い者が評価されるというスポーツの世界では、LGBTQのアスリートは弱い立場で、「居場所がない」と感じる現状がある」と杉山さんは綴ります。
 そして、日本のオリンピアンでカムアウトした人がこれまで一人もいなかったことに触れつつ、「言っても言わなくても安心して競技に打ち込める社会にしていかなければならない」と、「スポーツ界にもあるさまざまな課題に対して、スポーツ界がしっかり向き合うことが社会を変える原動力になる。そうすればスポーツ界も含め社会全体として、LGBTQの人もそうではない人も誰もが安全安心に暮らせる社会の実現につながると感じる」と結んでいます。
 当事者のアスリートであり、IOC理事でもある杉山さんからの重みのあるコメントでした。

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