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ビリー・ジーン・キングがレジオンドヌール勲章を受章しました

 テニス界のレジェンドであり、現役時代の1981年にレズビアンであることをカムアウトしたという意味でもレジェンドであるビリー・ジーン・キングが、フランスで市民に与えられる最高の栄誉であるレジオンドヌール勲章を授与されました。


 ビリー・ジーン・キングは1967年(23歳)にはウィンブルドンと全米選手権の2大会連続で「ハットトリック」(同一大会で女子シングルス・女子ダブルス・混合ダブルスの3部門をすべて制覇すること)を達成、世界ランキング1位になり、1983年に40歳で引退するまで20年以上にわたり第一線で活躍したテニス界のレジェンドです。また、1970年代には男女プロテニス選手間の賃金や対応格差に声をあげ、1973年に男性が支配していたテニス協会から独立させる形で「女子テニス協会」を設立しています。女子テニスの歴史を通じての最大の偉人の一人に数えられています。
 映画『Battle of the sexes』では、ビリー・ジーン・キングが元男子世界チャンピオンとの「負けられない戦い」に挑み、全女性の希望と期待を一身に背負ってコートに立ちますが、その陰で、実は女性と恋に落ち、レズビアンであることを自覚していて…という史実が描かれています。彼女は1981年にレズビアンであることをカムアウトしました(この時期のトップアスリートとしてのカミングアウトは、世界初。しかも現役時代です)。女性や同性愛者の権利向上のために長年闘い続けた功績を認められ、2009年にはオバマ大統領から大統領自由勲章(米国で市民に与えられる最高の栄誉)を授与されています。
 6月3日、ビリー・ジーン・キングは女子スポーツ、男女平等、スポーツ界におけるLGBTQの権利回復への貢献を認められ、レジオンドヌール勲章を受章しました。キングはエマニュエル・マクロン仏大統領に招待されて官邸であるエリゼ宮に出向き、受章セレモニーに出席しました。
 その前日、キングは全仏オープンの会場を訪れ、彼女の1972年の優勝から50周年を迎える記念セレモニーに参加。その日に準決勝に勝利した現世界女王イガ・シフィオンテクや、元世界女王で大会ディレクターであるアメリー・モレスモーらがコート上でキングを讃えました。
 
 1981年のカミングアウトによって、キングは一夜にしてすべてのスポンサー契約を失ったといいます。その頃のことをキングは「とても困難な時だった。心が立ち直るまで、長い時間がかかった。セラピストたちが大きな助けになってくれた。今はメンタルヘルスのことを多くの人が話題にするようになって、いいことだと思う」と語っています。

 全米テニス協会は2019年、全米オープンの直前に初の「Open Pride」を開催し、ビリー・ジーン・キングやジェイソン・コリンズ、アダム・リッポンらOUTアスリートが集ってのトークショーを行なうなどしました。2020年には全米オープンが展開した「Be Open」キャンペーンで、ビリー・ジーン・キングをはじめとする9人の女性たちをスタジアムの電光掲示板でフィーチャーするなどしました。
 

 
参考記事:
テニスレジェンドのビリー・ジーン・キングがレジオンドヌール勲章を受章(WOWOWテニスワールド編集部)
https://article.auone.jp/detail/1/6/12/322_12_r_20220607_1654556562176602

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