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「夾雑物(余計なもの)」扱いから一転、「結婚の自由をすべての人に」東京第1次訴訟の本人尋問が実現し、原告の方々が自身の経験や思いを語りました
10月11日、「結婚の自由をすべての人に」東京第1次訴訟※の本人尋問が開かれ、7名の原告の方たちが(本当は8名ですが、佐藤郁夫さんが亡くなってしまったので…)自らの経験や思いを語りました。本人尋問は訴訟の「山場」と言われており、判決に影響を与えることもあります。
東京訴訟では当初、東京地裁の田中寛明裁判長が、原告一人ひとりの語りを「夾雑物(余計なもの)」であると述べ、本人尋問を開く必要がないとの判断を示したため、署名活動などの抗議が行なわれてきました(1万8000筆以上の署名が集まったそうです)。今年4月に裁判長が交代し、新たに就任した池原桃子裁判長が本人尋問の実施を決め、無事に行なわれることになりました。
※「結婚の自由をすべての人に」訴訟は2019年2月14日に始まりましたが、今年3月、新たにトランスジェンダーやパンセクシュアルの方も含む8名の性的マイノリティの方たちが原告となって東京訴訟に加わりました(追加提訴しました。詳細はこちら)。そこで、当初の訴訟を第1次訴訟と称しています。
11日、原告の小野春さんと西川麻実さん、小川葉子さんと大江千束さん、かつさんとただしさん、そして亡くなった佐藤郁夫さんのパートナー・よしさんの7人が法廷に立ち、結婚が認められないことで不平等な扱いを受けたり、尊厳を踏みにじられた経験を語りました。
小野春さんと西川麻実さんは一緒に暮らすようになって18年の女性カップルです。それぞれが産んだ3人の子どもを一緒に育ててきました。しかし子どもたちが小さかった頃、お二人は偏見を恐れて自分たちが同性カップルであることを学校に伝えることができず、子どもたちも社会の中で疎外感を感じていたといいます。
小野さんが産んだ長男は小学生だった時、家族のことを書いた作文で、先生から西川さんの名前を◯で囲まれて「この人は誰ですか」と尋ねられました。長男はそれ以来「自分たちの家族は想定されていないんだと感じ、家の外で西川さんについて話さなくなった」といいます。
小野さんは「私たちも、結婚できていたら普通の家族のように扱ってもらえた」「同性カップルも安心してのびのびと育てられる環境を作るためにも、同性カップルの結婚を法律で認めてほしい」と訴えました。
中野区の同性パートナーシップ証明第1号のカップルで、25年くらい一緒に暮らしている小川葉子さんと大江千束さん。
小川さんは高校生の時に初めて同性の恋人ができたものの、大学進学後に別れてしまい…その理由の一つが「結婚」という選択肢がないことでした。交際相手から「あなたが男の人だったらよかったのに、そうしたら将来のことを考えられたのに」と言われ、小川さんはショックで打ちのめされたといいます。将来の希望や展望が持てなくなった小川さんは、不眠やうつ状態が続いて大学を中退しました。
大江千束さんも「異性愛が当たり前」とする空気に耐えられず、高校卒業後に就職した会社を退職。さらに、大江さんが同性愛者であることを知った親戚たちは、理解や支援からは程遠く、疎遠になってしまったそうです。
小川さんは「同性婚ができたら、若い時期に自分の人生を諦めず、夢を追えたと思う。同性愛者はたくさんいます。彼らの夢や道筋を見守ってほしい」と裁判長に語りかけました。
10年前に出会ったかつさんと一緒に暮らしているただしさんは、口頭弁論でもたいへん感動的なスピーチをした方です。
ただしさんは子どもの頃から恋愛感情を抱く相手が男性だと気づいていましたが、肯定的に受け入れることができず、「いつか治るのではないか」と、様々な本を読んでみました。しかし、同性愛を「異常性愛」などと説明するネガティブなことばかりで、自分自身に対してますます否定的な気持ちを持つように。そのため、若い時から「生涯孤独に生きていかなければいけないのだろう」と圧倒的な寂しさを感じていたそうです。
パートナーのかつさんも10代の頃、ただしさんと同じように自分を否定的に捉えていました。しかし2012年に出会って一緒に暮らすようになり、二人の人生は孤独ではなくなりました。お互いの家族にもカミングアウトし、良好な関係を築けています。
ただしさんは「もし小さい頃に男女と同じように結婚できる社会だったら、自分をもっと肯定的に捉えられました」と、かつさんは「同性結婚できることで、全ての問題を解決できるとは思いません。しかし私のように思春期に思い悩んでいる人が減ると思う」と訴えました。
亡くなった佐藤郁夫さんのパートナーのよしさんは、佐藤さんが倒れて救急車で運ばれた際、病院で家族と認められず、「ちゃんとした血縁者はいないか」「血縁者の連絡先を教えてほしい」と言われ、「認められない悔しさを感じた」と語りました。病状説明も受けられず、よしさんは佐藤さんの病状を、妹さんから電話で教えてもらわなければなりませんでした。20年近く共に生きてきたパートナーの人生の最後に、家族として扱われなかったよしさんは、妹さんのおかげで、佐藤さんが亡くなる直前に会うことができ、「ずっとそばにいるよ」と伝えることだけはできたと、涙で言葉を詰まらせながら語りました。
そして、「郁さんはいないけれど『いつか法的な結婚をしたい』という郁さんの思いを無駄にしたくないと思い、原告を続けることにした」と語りました。
また、7名の原告に加えて、原告の親族の方もお一人、証人尋問に立ち、「少数者だからといって、不利益を被り、いじめや差別がしょうがないという社会であってはいけないと思う」と強く訴えました。
晴れて本人尋問に臨むことができた小野さんは、取材で「署名に本当に力をもらいました。前回の裁判長では尋問自体が難しかったのではないかと思いますが、それを変えてくださったのは、みなさんの署名や手紙のおかげで、本当にありがたく思っています」と感謝を述べました。
西川さんは「札幌の判決で憲法に違反しているというところまで踏み込んできました。東京でも、この状態は差別的であるとはっきりと裁判所の口から出してほしいと思っています」と記者団に語りました。
大江さんは「憲法14条に反することはもとより、(国が同性婚を認めていないことが)立法不作為であるという判決を出して欲しいと切望しています」と語りました。
東京1時訴訟の次回の審理は、2022年2月9日に開かれます。
今年に入って、佐藤郁夫さんだけでなく、日本で初めて同性カップルとして市役所に婚姻届を提出し、今につながる同性婚運動の口火を切った宇佐美翔子さんも、同性婚が実現する日を見ることなく(結婚に間に合わず)亡くなりました。こうした悲劇がなくなるよう、1日も早く結婚の平等を保障する国になってほしいと、多くの人々が願っています。
その願いを一身に背負って活動する「Marriage For All Japan(結婚の自由をすべての人に)」を、アライの皆様にもぜひ応援していただきたいです。ちょうど10月11日から1週間、「Marriage For All Japan」へのチャリティとなるTシャツやエプロンなどのアイテムが発売されておりますので、もしよろしければこちらをご覧になってみてください。
参考記事:
同性婚で「尊厳持てる」 違憲訴訟、原告7人に尋問 東京地裁(時事通信)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021101100896
「結婚しない」ことと「できない」ことは違うから。同性婚訴訟が東京でも山場。傍聴席から見つめた当事者の思い(BuzzFeed)
https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/marriage-for-all-1011
同性カップルの法廷での訴えは「余計なもの」 署名提出後に一転実現(朝日新聞)
https://www.asahi.com/articles/ASPBC6DW0PBCUTIL02G.html
同性婚訴訟、山場となる「本人尋問」で7人の原告が語った過去の苦しみと未来への希望【東京1次8回】(ハフィントンポスト)
https://www.huffingtonpost.jp/entry/marriage-equality-tokyo-1-8_jp_61622d48e4b0fc312c97d55a