NEWS
「またきてしまったのか……オカマ役が」ゲイ役の俳優のコメントに対し、批判が噴出しています
今秋上演される鴻上尚史さん作・演出の舞台『ハルシオン・デイズ2020』を紹介するオンライン記事に、出演者の石井一孝さんの「またきてしまったのか……オカマ役が」といった差別的なコメントが掲載され、炎上しています。
『ザテレビジョン』の「鴻上尚史作・演出「ハルシオン・デイズ2020」上演決定“間違いなく、刺激的で面白い作品に”」に掲載された石井一孝さんのコメントは以下の通りです。
「またきてしまったのか……オカマ役が」。率直な第一印象である。「蜘蛛女のキス」というミュージカルでモリーナという愛深きオカマを演じたのは10年ほど前だったか。「女言葉と内股」という設定がなかなかなじまず、当然、稽古が嫌で、セリフを覚える気も起こらず、毎晩、ボーリング場に通った苦い思い出。しかし、相手役や仲間にはげまされ役をつかむようになると、女心がわからなかったはずの私が生き生きと女を生きられたのだ。今ではもうすぐに女になれる……気がしている(笑)。
「オカマ」という言葉に限らず、すべてにおいて侮蔑的なコメントです。ホモフォビア(あるいはトランスフォビア)がむきだしになっています。トニー賞で最優秀ミュージカル賞や主演俳優賞など6部門を受賞している世紀の名作『蜘蛛女のキス』のモリーナという、役者冥利に尽きるような名役を演じる光栄にあずかりながら、この言い草……理解に苦しみます。そして、未だに当事者に対するリスペクトやシンパシーが皆無であるところを見ると、せっかくゲイ(ともトランス女性とも言われる)役を演じる機会がありながら、大切なことは何も学んでいなかったようです。今回の舞台でも、きっと当事者が観たら不快に感じるような演技でしかないだろうな、と思わせます。
ちなみに、同じようにこの作品を紹介した『ぴあ』や『ステージナタリー』などの記事では、さすがに「オカマ」はNGだと判断されたのでしょう、「ゲイ」に書き換えられています。しかし、いかんせん「ゲイ」に書き換えたことによって「女を生きられた」「女になれる」という部分との矛盾が生じてしまっています(今回のようなプレスリリース的な記事の場合、出演者コメントを全面的に書き換えることは困難ですので、「ゲイ」に書き換えることが最低限できる対応だったと想像しますが…)
Twitter上では、最新順にパッと見た限りでも、こんなコメントが並んでいます。批判ばかりです。
「そんなに(ゲイ役が)イヤなら断ればいいと思う」
「こりゃひどい。もう俳優やめたら」
「演出家がどう対処するのか気になります」
「鴻上尚史さんは好きな演出家なだけに、出演する俳優が人間の属性を見下し侮蔑したコメントをしているのには残念を通り越して失望しかない」
「鴻上さん、石井一孝さんのコメントひどすぎでしょ。これ放置しとくと、性的マイノリティを「ネタ」にした舞台ってことになりますよ」
「素敵な作品だから今回のも観たかったけど出演者のコメントに悲しくなった。今は削除されたのかな? でも読んでモヤッとしたのは消えないからチケ取りは悩む」
問題は、この舞台を上演する株式会社サードステージ(ひいては鴻上さん)が、このような侮蔑的なコメントを、何のチェックもせずに公のプレスリリースとして発表してしまった点にあるのではないでしょうか。
鴻上さんの『ハルシオン・デイズ』は2004年に初演されましたが、名作と言われる『トランス』(1993年初演)のテーマを引き継ぐ作品です。『トランス』は3人の登場人物のうちの1人がゲイバーで働く人で、鴻上さんが『この世界はあなたが思うよりはるかに広い ドン・キホーテのピアス17』の中で「まだまだ日本では理解がなかった時代で、高校の同級生だった男が「自分はゲイだ」と友人に告白した途端、友人が体を固くするバカバカしさを語りました。告白を聞いて、体を固くするということは、自分が対象として見られていると思っているわけで…」「再演の時には、あきらかにゲイのカップルと思われる人たちが楽しそうにこのセリフを聞いていました」と語っているように、ゲイに対するシンパシーから、ゲイバー勤めのキャラクターを登場させています(今は「狂言回し的な役」「ステレオタイプ」などと批判されることもありますが、1993年当時としては、ゲイと言えば、そのようなイメージでしかなかったのでしょう…)
2015年にはトランス女性が登場する『ベター・ハーフ』という作品を上演し、当事者である中村中さんを起用しています。素晴らしいことです(世界的に今、「トランスジェンダー役は当事者の俳優が演じるべき」という声が大きくなっているなか、実に先進的で、LGBTQコミュニティにとっても意義のある起用だったと言えます)
鴻上さんはほかにも、『AERA』で連載している人生相談で、同性愛者の方の相談に対して、実に真摯で、サポーティブな回答をしています。
このように、古くからLGBTQへの支援の気持ちを表現してきたアライである鴻上さんの作品であるにもかかわらず、出演者の方たちやスタッフの方たちの間では必ずしもLGBTQへの敬意や支援の気持ちは共有されていなかったということなのでしょう。先日の「同性愛を描くドラマの紹介に「レズビアンの男性役」との見出しをつけた記事に対し、批判が噴出」と同様のケースです(というか、もっとひどいです)。当事者としては、どんなに良い作品だよと言われても、このような出来事があると、とうてい観に行く気にはなれません。マーケティング的に見ても、完全な失敗です。
LGBTQを取り扱うドラマや映画の製作に携わるスタッフの方たち、出演者の方たち、そうした作品を紹介するメディアの方たちは、最低限、LGBTQ(性的マイノリティ)についての研修を受けていただきたいです。LGBTQはテレビ的な「オネエ」イメージと同じではないということを知り、「世の中は男/女しかいない」「恋愛は男女でするもの」という思い込みや偏見を払拭し、性の多様性について理解していただきたい。それが現に生きている(全国に何百万人もいる)LGBTQへの最低限の礼儀ではないでしょうか。
【追記】2020.9.17
たくさんの批判の声を受けて、9月17日午後2時半過ぎ、「公式ホームページにおけるコメントにつきまして、先に出した文章が、一部認識が浅く、間違った表現であった事をお詫び申し上げます。改めまして、文章を差し替えさせて頂きました」として、石井さんのコメントが差し替えられました(こちらに掲載されています)
また、鴻上尚史さんからも、「サードステージの代表は僕ですから、すべて僕の責任です。不快な思い、傷ついた方には深くお詫びします。1994年『トランス』書き、ずっとアライでありたいと思っています。本当に申し訳ありませんでした」との謝罪コメントが投稿されました。
【追記】2020.9.20
20日、石井さん本人による謝罪文が舞台サイトと石井さんの個人サイトに掲載されました。
「『ハルシオン・デイズ2020』の公式サイトに寄せたコメントにつきまして、無知で浅はかな文章を書いてしまいましたことを心から反省し、お詫び申し上げます。すべて僕の認識の甘さ、恥ずかしいほどの未熟さからです。
今後は表現者として理解を深め、橋本哲造役を大切に心を込めて真摯な思いで演じたいと思います。最高の作品になるように全力で取り組みます。
僕の発言により不快な思いをされた皆様、ご迷惑をおかけした皆様、誠に申し訳ございませんでした」