GLOSSARY
LGBTQ用語解説
ドメスティック・パートナー法
ゲイやレズビアンが結婚できるというリアリティがまだなかった時代、いっしょに住んでいて実質的に男女の結婚のような関係を築いている同性カップルのことを名指し、概念化するために、アメリカで「ドメスティック・パートナー」という言葉が生み出されました。ドメスティックは「国内の」ではなく「家庭的な」という意味です(また、「ドメスティック・パートナー」には日本の「内縁関係」のような、どことなく後ろめたさを感じさせるニュアンスはありません)
1970〜1990年代、シビルユニオン以前の同性パートナー法や、企業の中での社員の同性パートナーに対する福利厚生について、主にアメリカで「ドメスティック・パートナー」という呼び名が用いられていました(欧州では登録パートナーシップ法という名称が主流となりました)
現在でも、Facebookの交際ステータスに「ドメスティック・パートナー」が残っています。同性のパートナーと実質的に「結婚」している状態にありながら、居住する国で同性婚もシビルユニオンも認められていない場合に、「交際中」ではなくあえて「ドメスティック・パートナー」を使用することで、交際ステータスをより正確に表現できるかと思います。
法制度としての「ドメスティック・パートナー」
ある時期の米ワシントン州のように、名称以外は結婚と同じという状態であっても「シビルユニオン」ではなく「ドメスティック・パートナー法」という呼び方を採用していた地域もあり、シビルユニオンとの区別は厳密ではありません。が、シビルユニオンと言えば結婚した夫婦とほぼ同等である法制度(ただ結婚でないだけ)を指すのに対し、ドメスティック・パートナー法と言えば、ほとんどの場合、結婚で得られる権利の一部が認められるような法制度のことを指します。
以下、カリフォルニア州におけるドメスティック・パートナー法誕生の歴史をご紹介します。
サンフランシスコでハーベイ・ミルクが史上初めてオープンリー・ゲイとして議員(市政執行委員)になったことはみなさんご存知の通りです。
1978年、ミルクが悲劇的な死を遂げ(ダン・ホワイトに暗殺され)、後継者として、やはりオープンリー・ゲイのハリー・ブリットが市政執行委員に選ばれました。
1979年、カリフォルニア州バークレー(サンフランシスコ湾東岸にある都市)在住のゲイの活動家トム・ブルームは、「ドメスティック・パートナー」という新しい関係性を提唱しました。いっしょに住んでいて実質的に男女の結婚のような関係を築いている同性カップルのことを名指し、概念化する必要があったからです。
公的な文書で初めて「ドメスティック・パートナー」という言葉が使われたのは、1982年、サンフランシスコ人権委員会(SFHRC)の訴訟において、でした。SFHRCのメンバーだったラリー・ブリンキンは、11年つきあったパートナーが亡くなり、3日間の慶弔休暇を会社(南太平洋鉄道)に申請し、拒否されたことに対し、訴えを起こしたのです。判事は法律で認められていないから、という雇い主の主張に同意しました。
1982年、サンフランシスコ市政執行委員のハリー・ブリットがドメスティック・パートナー法を市議会に提出し、採択されましたが、カトリック教徒であるダイアン・ファインスタイン市長(映画『ミルク』にも登場する「暗殺されました」というアナウンスをした女性)によって拒否されました。
1983年、バークレーのガス・ニューポート市長が市の人事厚生委員会にドメスティック・パートナーを認めるよう要求しました。トム・ブルームと複数の団体や弁護士が共同で法案の草案作成にあたり、これが、現在世界中で採用されているドメスティック・パートナー法/シビルユニオンの原型となりました。84年には公聴会が開かれ、市議会は、労働者に対する権利の拡大(健康保険など)を認めました。トム・ブルームとパートナーのバリー・ウォレンは、パートナーとしての権利を認められた初めてのゲイカップルになりました。
1985年、ウェストハリウッド(ゲイタウンとして有名なLA郊外にある市)の市議会議員ジョン・ハイルマンが、労働者に対するドメスティック・パートナー法の制定に成功しました。
1989年、サンフランシスコ市でもドメスティック・パートナー法が成立しました。が、有権者がこれをイニシアチブ(直接投票)によって覆しました。1990年、修正版が提出され、ようやく成立しました。
1996年、サンフランシスコ市議会が同性カップルの結婚式に市役所を開放する条例案を全会一致で可決しました。
1999年、カリフォルニア州知事のグレイ・デイビスは、議会で採択されたドメスティック・パートナー法に署名し、州レベルで同性カップルの権利を認めるようになりました。
2003年9月、カリフォルニア州はドメスティック・パートナー法を拡大し、男女の夫婦と同等のほとんどすべての権利を得られるようになりました(つまり、シビルユニオンです)。カリフォルニアの包括的なドメスティック・パートナー政策は、裁判なしに法制化された米国で最初の同性カップル政策でした。
企業内の制度としての「ドメスティック・パートナー」
1992年、全米で最も同性愛者が多い街・サンフランシスコを本拠地とするリーバイス社が、社員の同性パートナーへの福利厚生(保険など)を認めるドメスティック・パートナー制度をスタートさせました。
以降、多くの企業がこれにならい、社内でドメスティック・パートナー制度を取り入れるようになりました。『フォーチュン』誌のランキング500に入る企業のうち、1999年には96社、2001年には126社、現在では1/3以上の企業が採用しています。
日本での「ドメスティック・パートナー法」の認知
日本でも2000年代まではドメスティック・パートナー法とかDP法という呼称が用いられていました。2004年には「同性パートナー - 同性婚・DP法を知るために」という本がLGBTQコミュニティから誕生しています(同性カップルの権利保障を初めてきちんと総合的に、しかもトランスジェンダーの視点も交えながら論じた、たいへん重要な意義を持つ著作でした。この分野の嚆矢と言える本ではないでしょうか)
しかし、海外でも同性婚(結婚の平等)が次々に実現していってドメスティック・パートナー法がもはやほとんど存在しなくなった状況で、また、日本でも2015年以降、同性パートナーシップ証明制度と同性婚(結婚の平等)にスポットが当たるなかで、「ドメスティック・パートナー法」や同性パートナー法という言葉がメディアに登場する機会がめっきり減りました(海外の同性パートナー法と日本の同性パートナーシップ証明制度が混同されることも…)
ドメスティック・パートナーという言い方は確かに世界的にも用いられなくなっているかもしれませんが、せめて、結婚で与えられる権利の一部が認められる法制度=同性パートナー法ということは正しく認知されてほしいです。
<ドメスティック・パートナー法が適用されている国や地域>
同性婚やシビルユニオンなどは認められていないものの、ドメスティック・パートナー法や登録パートナーシップなどのような、男女の結婚した夫婦が持つ権利の一部を認める法制度がある国・地域
イスラエル
(イスラエルでは、法制度として認められているのはドメスティック・パートナーシップ法だけですが、海外で同性結婚したカップルが国内に戻った場合、国内でもそれを同性婚として認めるということになっています)
※日本でも、渋谷区のように、条例によって同性カップルを結婚と同等であると見なし、証明書を発行し、病院での面会や公営住宅への入居などを保障する同性パートナーシップ証明制度が導入されていて、これをごくごく一部の権利が認められているドメスティック・パートナー法の最小版のような法制度であると見ることもでき、以前はそのように記していましたが、そもそも同性パートナーシップ証明制度は法的効力がゼロであるという認識の上に立てば、これを法制度と同列に扱うのは誤りだと考え直し、ここに記すことはやめました。