GLOSSARY
LGBTQ用語解説
クローゼット
カミングアウトしていない人、またそういう状態のことを「クローゼット」と言います。
「カミングアウト」がもともと、閉じこもっているクローゼットにから出て来る(come out of the closet )という比喩から派生した言葉だったことに由来します。カミングアウトと言うと、ものすごい一大決心をして、悲愴な覚悟で打ち明ける、みたいなイメージもあるかもしれませんが、活動家の畑野とまとさんによると、「本来は、同じ仲間が居る場所が楽しいから押し入れに居ないで、こっちに来て遊ぼうよ!」というニュアンスだったそうです。
(ちなみに、LGBTQの活動に携わっているような方が、「オープン」の対義語のような感じで「クローズド」という言葉を使っているのを見かけますが、カミングアウトしていないという意味合いであれば、「クローゼット」と言ったほうが、きちんとLGBTQの歴史を理解している人だと思ってもらえると思います)
アメリカでは過去に、赤狩りの急先鋒を務めたロイ・コーン検事(『エンジェルス・イン・アメリカ』で貴重なHIVの薬を独り占めしていたのを憶えている方もいらっしゃるかと思います)やFBI初代長官のJ・E・フーバーらが有名ですが、クローゼットの公人が保身のために(自身がゲイだとバレないように)率先して他のゲイの人を脅したり、破滅させたりしてきたという黒い歴史があります。また、クローゼットの議員が(自身がゲイだとバレないように)同性婚などLGBTの権利を認める法案にことごとく反対してきたということも明らかになっています(東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で上映された『Outrage』という映画にリアルに描かれています)
自分がゲイであることを恥じることなく受け容れ、堂々とカミングアウトしよう、胸を張って生きていこうとする姿勢が「プライド」です。
日本では、かつて「隠れホモ」という言い方が一般的だったと思いますが、90年代以降(『バディ』誌などのおかげで)後ろめたいニュアンスがない「クローゼット」という言葉が認知されるようになりました。
ただ、2010年代以降、LGBTQムーブメントの隆盛とともにカミングアウトして活躍する方(ロバート・キャンベルさんなど)が増えてきたなか、なんとなく世の中的に、カミングアウトは「善」、クローゼットにいるのは「悪」といったな強迫観念のような「規範性」を感じて、後ろめたさを覚える方もいらしたのではないかと思います。誰も、誰にもカミングアウトは強制できませんし、言わなければいけないということもありません。カミングアウトしても大丈夫、安全だと思える環境にいる人が、したくなった時にすればよいことです。ホモフォビアの強い人だらけな職場で働いてたり、とてもじゃないけど理解してくれないだろうという人に対しては、言う必要は全くありません。
多くの人は、テレビやYouTubeで全方位的にカミングアウトしているわけではなく、会社でもほとんど言ってないけど、仲のいい同僚や友人には言ってる、とか、Twitterには(「組合員」とか「Gコード」を書いて)見る人が見ればわかるような感じで顔出ししてる、あるいは、ナイモンだけ顔出ししてる、というようなライトなカミングアウトをしているのではないでしょうか。その状態を「クローゼット」と言うかというと、違うと思います。会社でカミングアウトしてないことについては「クローゼット」かもしれませんが、あなたのことをゲイだと知ってる人が世の中にたくさんいる(知られる可能性がある状態に身を置いている)という意味では、全然「クローゼット」じゃないからです。よく考えると完璧にクローゼットな人ってそうそういないですよね(二丁目にもハッテン場にも行かず、アプリもやらず…という徹底した人じゃないと)
90年代、イヴ・セジウィックという社会学者が、世の中が異性愛が当たり前だと見なしているせいで(異性愛規範と言います)同性愛者は、新たに出会う人すべてに「私はゲイです」と言っていかない限り、勝手に異性愛者認定され、自動的に「クローゼット」に入れられ続けるのだ、と指摘しました。
実は、私たちがカミングアウトしづらいことも、言ったらどういう目にあうかわからないという、心理的安全を保障してくれない、差別的な社会の側の問題ですし、いちいちカミングアウトしないと異性愛者(そしてクローゼット)だと見なされてしまう不条理も、社会の側の問題なのです。
ですから、決して「クローゼット」という言葉を非難と受け取る必要はありませんし、芸能人レベルで有名にならない限り、誰もが「クローゼット」なのです。その扉をいつ、どのタイミングで、誰に向かって開けるかは、完全にその人の自由です。