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レポート:東京レインボープライド2023「プライドフェスティバル」2日目
2023年4月22日(土)、23日(日)、代々木公園イベント広場で「変わるまで、続ける」をテーマに東京レインボープライド2023「プライドフェスティバル」が開催され、2日間で約24万人(主催者発表)の方々が来場し、たいへんな熱気となりました。2日目のプライドパレードは、晴天の下、39ものフロートが出走し、1万人が渋谷〜原宿の街を行進しました。2日目のレポートをお届けします。
昨年はまだコロナ禍の影響もあって入場規制があり(入場には事前申込みが必要で、ゲートが設けられ、入るときに手指消毒し)、パレード参加も2000名という制限があり、涙を呑んだ方もいらっしゃいましたが、今年は4年ぶりに制限のないかたちでプライドが開催されました。天候にも恵まれ、暑すぎたりもせず、絶好のイベント日和となりました。というわけで、2日間で約24万人(主催者発表)と大盛況だった今年のTRPの「プライドフェスティバル」の模様をレポートします。1日目、2日目に分けてお送りします。
(文:後藤純一)
TRP2023「プライドフェスティバル」2日目となる4月23日(日)、前日よりもさらに晴れて、青空が広がっていました。
10時半頃、山手線に乗ると、隣にレインボーカラーのグッズを身につけた男性が。でも髪型などから察するにアライの方なんだろうなと思っていたのですが、あとでチェリオの方だとわかりました。そんな感じで大勢のレインボーな方々が代々木公園を目指していました。11時前にはすでに会場は大勢の人で賑わっていました。
11時からステージイベントが始まり、小原ブラスさん&ブルボンヌさんがMCを務めました(小原ブラスさんはプライドイベント初出演だそうです)。お二人ともトークの達人。オープニングから大いに楽しませてくれました。
オープニングアクトとして「Pride Choir Tokyo」のみなさんが合唱を披露しました。先日のシドニーのワールドプライドでのLGBTQのコンサートに参加したときの様子を語ったり、映像で見せながら歌ったり。最後の「島唄」では、ぷれいす東京のRikiさんが三線を弾いたり、プライドハウス東京の共同代表に就任した五十嵐ゆりさんが指笛を吹いたりもしていました。ちなみにピアノ伴奏は森山至貴さんでした。
続いて、各国駐日大使館大使のスピーチが行なわれました。過去最多となる18の国・地域の大使・公使の方々が登壇しました。英国のロングボトム大使が「これまでに英国大使館で69の同性結婚式を挙げました」「娘のナタリーもパートナーのキャサリンと結婚しました」と語ったときに会場から拍手が起こっていました。ジャン=エリック・パケ駐日EU大使は、「私は近い将来、すべてのG7+諸国でLGBTQに対する差別が法律で禁止されることを強く望んでいます」と語りました。ラーム・エマニュエル駐日米国大使も、ウガンダのレズビアン女性の難民認定を称賛しながら、同性愛コミュニティにも権利を、と語りました。「今日この瞬間から日本の新しい時代を迎えましょう。LGBTQ当事者たちが安心して暮らせる時代です」「日本の人たちは温かい家、温かい心を持っています、その心をLGBTQにも」
その後、各政党代表者のスピーチがあったのですが、時間が押していて、13時のパレード出発やその前のフォトセッションに間に合わなさそうだったので、中座させていただきました。
13時、雲ひとつない(ひとつくらいはあったかもしれませんが)青空の下、晴れやかにTRP2023のプライドパレードがスタート!しました。
先頭はTRPのフロート。トランスジェンダーフラッグを持ったryuchellさん、小原ブラスさん、ブルボンヌさんが乗ったトラックに続き、横断幕を持った共同代表の方たち、巨大なレインボーフラッグ(Maayaさんたち)、そして巨大なトランスジェンダーフラッグが続いたのですが、これを東京レズビアン&ゲイパレード時代の実行委員を務め、性同一性障害特例法の成立にも貢献した野宮亜紀さんや、世界初のトランス男性議員となった細田智也さんを先頭に、イシヅカユウさん、山口颯一さん、時枝穂さんなどたくさんの当事者の方たちが持って歩いていて、思わず感動…でした。
続く、JAPAN PRIDE NETWORKのフロート、MarriageForAllJapanのフロート、Family Pride、Pride7+と、どのフロートにも沿道から盛大な歓声や拍手が贈られていて、LGBT法や同性婚法の実現を!トランスジェンダーが安心して生きられる社会を!といったLGBTQコミュニティの願いがこだましあうような、これまで以上に熱いパレードだったように感じました。
フロートの数も本当にたくさん…3月にTRPのステージ詳細がアナウンスされた際は出走フロートは26団体だったのですが、フタを開けてみれば39にもなっていました(主に企業フロートが増えたかたちです)。30番目のフロートまでは何とか写真を撮れたのですが(途中、トイレ休憩をとらせていただいたので、撮れていないところもあります。すみません)、ステージイベントが始まるため、中断…おそらく最後のフロートが出発したのは16時頃だったのではないかと思います。
ステージでは、15:30から『片袖の魚』の東海林毅さんが監督した『変わるまで、生きる』という高齢のゲイの方たちの食事会の様子を収めたドキュメンタリーが上映されました(東海林監督が5/20公開の映画『老ナルキソス』を紹介する場面もありました)
そして15:45にはTRP3回目の出演となるENVii GABRIELLA(エンガブ)が登場し、熱狂的なファンの方たちの声援も受けながら、安定の楽しいライブで盛り上げてくれました。昨年に続き、MCでは「このステージは、どのステージよりもうれしい。伝えたい人が観ている。力を振り絞って頑張っている」とPRIDEを感じさせる(でもお茶目でキュートな)トークを披露し、「生まれついたこのセクシャリティ」という歌詞がジーンとくる「Finally Found You」を熱唱したほか、新曲の「APHRODITE」も初披露してくれました。
続いて、トランスジェンダーフラッグを持ってパレードに参加したryuchellさんが、ロングの金髪+ピンクの肩出しワンピという素敵ないでたちで登場し、ニューアルバム収録の楽曲を披露。最後の『BEAUTIFUL DREAMER』を歌う前のMCでは、「私も生き方上手じゃない。愛には決まったかたちがない。みんな愛する人としっかり生きていけたら。私も決意した。貫いていくのが大変だとしても、愛をあきらめないで」と語っていました。
タレントのバービーさんの登場からスタートしたドラァグクイーンのショータイム。二丁目が誇るクイーンさん&ダンサーさんたちが素晴らしいショーの数々を披露し、「これがゲイカルチャーの神髄だ」といわんばかりの思いやPRIDEが伝わってきて、心から感動させられました。
大トリの美川憲一さんは『さそり座の女』を歌いながら登場し、「いらっしゃい。よく来たわね。呼んでいただいて幸せだわ」とあの口調で語り、拍手を浴びたあと、ゲイバー界のレジェンド「吉野」のママをステージに呼んで紹介し、「いい時代になったわね」などと語り合い、『おんなの朝』『柳ヶ瀬ブルース』など数曲を披露。最後に、歌詞の内容がLGBTQイベントにふさわしいかもしれないと言って『こころに花を』という素敵な歌を歌い、クイーンのみなさんも登場してフィナーレを迎えました。そして本当の最後に、会場の皆さんに「しぶとく生きるのよ」と励ますように語りました。
最後に共同代表のお二人と、題字を書いてくださったMaaya Wakasugiさんがご挨拶し、閉会となりました。
SNSでは一時「東京レインボープライド』がトレンド入りするくらい、「楽しかった!」「最高だった!」というツイートが多数「シェアハピ」され、本当に大勢の、いろんな方たちが思い思いにフェスを楽しみ、満喫していた様子でした。お子さんも、車椅子ユーザーの方も、障がいを持った方も、海外の方も、本当にいろんな方たちが来られていましたし、多様性をまるごと祝福するような、ハッピーな空気に満ちていました。
思えば、20年前の2003年はパレードがありませんでした。
それは、90年代に南定四郎さんが立ち上げたパレードや、2000年に砂川秀樹さんが立ち上げた東京レズビアン&ゲイパレード(のちに東京プライドパレード)の頃は、パレードをやるということがそれだけで本当に大変なことだったからです(砂川さんは冗談じゃなく命がけだったと語っています)。2000年の第1回TLGPは砂川さんがやりましたが、実行委員ほとんど全員、消耗してしまい、翌年の開催が危ぶまれ、春日亮二さん(90年代にゲイ向けSNS「ガービィ」を独力で作った天才エンジニアで、スタジオスタッグというゲイの会社を経営し、ゲイインディーズミュージックシーンの火付け役ともなったレジェンドです)が奔走してなんとか、2001年に福島光生さん(ライターで、バー「メゾフォルテ」のマスター)が、2002年に関根信一さん(劇団フライングステージの座長)がやることになりました。しかし、1年ごとに実行委員がみんな消耗し、順番に倒れていき、そして誰もいなくなった…という感じで、2003年、2004年は開催できなくなってしまったのです。
一般企業の協賛なんて皆無に等しい、実行委員長からボランティアまで、スタッフの人たちがみんな自腹を切ってパレードをやっていた時代です。テントを立てるのだって朝早くから自分たちでやり(宮崎留美子さんとかがヒールでテントを持ち上げたりしてました)、撤収も遅くまでかかり、後夜祭であるレインボー祭りに間に合わなかった…そんな時代です。今のTRPはなんと素晴らしいのだろう…と思います。まさに隔世の感。天国の春日亮二さん(2007年に急逝)も今の姿を見たら驚くことでしょう。
しかし、何のためにパレードをやるのかという、その意味は、今も昔も変わっていないはずです。私たちはここにいる、いないことにはされない、と世間に伝えること、私たちがメディア上で侮辱されたり、職場でバッシングされたり不当な扱いを受けたりしないように、会社をクビになったり、孤立無援の状態に陥ったり、自暴自棄になったり、自殺したりしないように、少しでも生きやすい社会に変えていくために、パレードをやらないと、という使命感のような、やむにやまれぬ気持ちです。課題はいろいろありますが、法整備が進んだり、平等が達成されたり、社会が「変わるまで、続ける」のです。いつか、心から「ハッピープライド!」って晴れやかに言える時代が来るでしょう、でも、そういうふうに社会が「変わっても」、コミュニティの祝祭としてパレードを「続ける」であってほしいな、と個人的には願っています。
来年は日本でパレードが始まってから30周年の節目を迎えます。今年以上に、さらに(取材が追いつかないくらい)スゴいイベントになるのではないでしょうか。楽しみにしています。
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