FEATURES

映画『世界は僕らに気づかない』の飯塚花笑監督へのインタビュー

トランスジェンダーである自らの経験を元に制作した『僕らの未来』(2011年)が国内外で注目を集め、昨年1月公開の『フタリノセカイ』で商業デビューを果たした飯塚花笑監督。1月13日から公開される新作映画『世界は僕らに気づかない』は号泣必至の名作です。こんなに泣かせる映画を撮れる監督さんは一体どんな方なのだろう…という思いから、インタビューをお願いしました。

PRIDE JAPANではこれまで、トランス女性の活動家やバイセクシュアルの映画監督、ゲイの活動家の方など、様々な方々にお話をお伺いし、インタビューとしてお届けしてきました。今回はトランス男性の映画監督・飯塚花笑さんです。2023年1月公開の新作『世界は僕らに気づかない』を一足早く拝見し、号泣し、魂を鷲掴みにされ、まだ若いのに、こんなすごい名作を撮る監督ってどんな方なんだろう、どんな人生を経てこの境地に達したのだろう…と思い、一ファンとして、ぜひお会いしてお話をお聞きしたいと思い、今回のインタビューが実現しました。
(聞き手・文:後藤純一)


飯塚花笑(いいづかかしょう)
映画監督
1990年、群馬県生まれ。
大学在学中は映画監督の根岸吉太郎、脚本家の加藤正人に学ぶ。
トランスジェンダーである自らの経験を元に制作した『僕らの未来』(2011年)がぴあフィルムフェスティバル審査員特別賞を受賞、国内のみならずバンクーバー国際映画祭等、海外でも高い評価を得た。
大学卒業後、「ひとりキャンプで食って寝る」(TV東京)に脚本で参加。
フィルメックス新人監督賞2019を受賞するなど活躍している。
2022年公開の『フタリノセカイ』で商業デビューを果たす。
2020年4月、「映画をつくりたい人」を募集するレプロエンタテインメント主催のプロジェクト『感動シネマアワード』のグランプリ作品6作品のうちの1つに選ばれ、『世界は僕らに気づかない』が製作される。同作は今年3月、大阪アジアン映画祭のコンペティション部門に選出され、プレミア上映を果たし、「来るべき才能賞」に輝いた。



――最初に『世界は僕らに気づかない』を観た感想をお伝えします。近年稀に見る号泣映画でした。後半30分は泣きっぱなしでした。タイトルから「世界に見捨てられた人」を描く作品を想像していましたが、決してそうではなく、人々の温かさや優しさを描く作品でした。人情というか、愛の映画だし、ある意味、夢を描いた作品だし、パートナーシップ宣誓をこんなに感動的に描いた作品もなかっただろうと思います。私自身、地方の出身で、ゲイで、学校で“おかま”といじめられたり、苦悩の高校時代を過ごしたので、ジュンの姿に共感し、感情移入しました。名前も同じですし(笑)。ただ、当時の私と明らかに違うのは、高校生のジュンにちゃんと彼氏がいて、大泉町という「パートナーシップ宣誓制度」が認められた町で、彼氏さんも親御さんに受け容れられているところです。私の高校時代には考えられなかったこと。感慨深いです。

飯塚花笑監督(以下飯塚):ありがとうございます。

――飯塚監督の作品は『フタリノセカイ』と『世界は僕らに気づかない』しか拝見していませんが、どちらも、人間ドラマを描くことへの熱量がすごい、魂を揺さぶられるような作品です。こんなに泣ける映画を撮られる飯塚さんってどんな方なんだろう、若いのに、どんな人生経験を積んできたんだろう…と、すごく気になり、お話を聞いてみたいと思いました。まず、飯塚さんは、「OUT IN JAPAN」で「小学2年生のときに、映画監督になると決めました。それから思春期になり、女性を好きになり、自分の性別に戸惑い、自分自身を表すのにフィットする「名前」を随分長い間探して来ました。苦しい時間を過ごしました」と書かれていましたが、その思春期の頃の苦しい時間について、教えてください。もしかしたら語るのも辛いことかもしれませんが…。

飯塚:大丈夫です。これまでも話してきたので。今は自分をトランスジェンダー男性というふうに語っているんですけど、自分のジェンダーのありように名前をつけることに違和感があって。ラベルって便利で、世の中に理解してもらう意味で必要だとは思うんですけど、どこかで堅苦しさのようなものを感じていて。今でも感じています。思春期の頃、当時は世間一般で性同一性障害という言い方をしていて。15、16くらいの時に、割り当てられた自分の性別への違和を明確に感じて。高校生になってガラケーを買ってもらったんですが、自分と同じような悩みを抱えている人がいるのかどうか調べてみて、性同一性障害という言葉を知って、たぶんこれだと。言葉が自分の救いになった部分はあった。認知してもらえる名前というかラベルを手に入れたんです。アイデンティティを表明する手段として。それと同時に、男になったんだから女が好きだろう、こういう悩みを抱えていて、こういう生き方なのだろう、みたいな”性同一性障害者像”のような典型的なストーリーに必ずしも当てはまらない自分もいて。今だと、当たり前にノンバイナリーとか多様なジェンダーが認知されてますけど、当時はそうじゃなかった。その”性同一性障害者像”からあぶれることが怖いっていう思いがすごくあって、いつの間にかより男らしく振る舞って、男として認めてもらうのに必死になっていることに気づいて、しんどくなってしまったんです。

――それはいつ頃…高校時代でしょうか?

飯塚:高校に入って性同一性障害って言葉を知りました。そのあと、学校でカミングアウトしたんです。スカートで学校に行くのが嫌だったので、学校の先生に相談して、学校と揉めたり、紆余曲折あって、男子の制服で通うことを認めてもらえました。この辺りの一連のことは『僕らの未来』という作品に描いています。ある日突然制服が替わるので、みんなに説明が必要だということで、カミングアウトしました。幸いにもクラスメートは受け容れてくれました。

――それはよかったですね。

飯塚:恵まれていたと思います。当たり前のように男子として受け容れられたんですが、今度は、男性規範に苦しめられるようになりました。ようやく男性になれたのに、また違和感を感じて、しんどかった。じゃあ、性同一性障害ではないのではないかと考えてしまったり。ごくごくふつうに差別的なことでしんどいってこともあったし、何かに当てはまらないといけないことにも苦しんだ。

――そうでしたか…。2004年に性同一性障害特例法が施行され、『金八先生』で上戸彩さんが鶴本直というトランス男性の役を演じて話題になったりしたちょっと後の頃で、一応世間的には制度があるし、学校もあからさまに差別的な対応はできない時代ではあったと思いますが、一悶着あって、制服を変えることが認められ、クラスメートにも受け容れてもらえた。けど、今度は、自身のジェンダーが男性/女性どちらかの規範に当てはまらないことが新たな悩みになったんですね。

飯塚:気づいてすごく楽になったのは、性的マイノリティについて語られるときも男女二元論で語られていた、ということなんです。もっと広い意味だし、もっとグラデーションがあるということが現在は当たり前に認識されていますが、当時は性同一性障害として完全に移行しきるというのが当たり前だったんです。

――進学して、大人になって、本格的に映画監督を目指す頃には、性別違和やジェンダーの悩みは解消されるようになったのでしょうか?

飯塚:今は、社会人として割り切れるようになりました。名前やラベルからこぼれ落ちる恐怖というのは、年を重ねるごとに薄れていきました。

――飯塚さんの作品には、LGBTQに限らず、マイノリティの言葉にならない思いを映画で描こうとする支援的な姿勢や思いを感じます。ご自身は、トランスジェンダーということ以外にも、例えば地方の出身であることや、家庭環境ゆえのことで何か挫折や苦労の経験があるのではないかと想像しますが、いかがでしょうか。
 
飯塚:地方にいたので、東京に住んでる同世代の子たちとは状況が違うということはありましたし、やっぱり情報は何テンポか遅れて伝わるんですね。制服を替えるという話も、僕らの世代では認知されてても、判断するのは年配の校長や教頭だし、先生から差別的な言葉が出てきたりもして。大学は東北で、活動として文化研究のフィールドワークで村に入ってお祭りに参加したり、高齢の方たちに話を聞いたりしてたんですが、価値観がアップデートされてない方々とのやりとりには苦労しました。 

――私も東北出身なので、よくわかります。今回の映画はミックスルーツの子を描いていて、飯塚さんはその点でいえばアライとして作品づくりをなさっていますね。
 
飯塚:群馬県は海外からの出稼ぎの労働者が多いので、小学校、中学校の頃、学年に一人はブラジル系やフィリピン系の子がいたんですね。でも正直、僕はあまり関心を持ってこなかった。今回の映画づくりは、過去の反省の意味も込めて、あの頃に遡って、あの時起こっていたことは何だったんだろうと考える作業でもありました。

――子どもの頃はエスニックマイノリティの子に関心がなかったけど、大人になった今はサポーティブに、アライとして共感しつつ描いている。その間に何が変わったのか、そこに至る原動力というかモチベーションは何だったのかというのは、ご自身のトランスジェンダーとしての苦労や経験がそうさせたんでしょうか。

飯塚:そうですね。先ほどの話とつながるのですが、自分自身が何者かわからないときに、救いを求めて、映画をたくさん観たんです。言いようのない感情を表してくれる作品があるんじゃないかと、苦しまぎれに模索していました。その映画のなかに自分のような人がいないというのは、悲しかったです。上戸彩さんのドラマはあったけど、映画には…。

――日本の商業映画ではトランス男子を描く作品は皆無でしたものね…。海外では『ボーイズ・ドント・クライ』がありましたが、とても悲惨な最期を迎えるので、とても救いにはなりません…。
 
飯塚:どこを見渡しても自分にフィットする人間がいなかった。映画づくりは「自分の物語が観たい」という個人的な思いからスタートしています。「自分と同じ思いを抱えている人が必ずこの世のなかにいるはずだ」と思って、トランス男性の物語を撮りました。その次の作品として約10年前、2人のゲイ男性の物語を構想して脚本を書き始めていたんですが、ちょうどこの映画界の10年の歩みと重なっているのですが、当時はそういう作品って少なかったんですが、パートナーシップ制度ができたり、時代が進んでいくなかで、映画界もこの10年でグググっと変わって、むしろマジョリティが性的マイノリティを描きたがるようになりました。そうしたなかで、ただゲイの話を描いてもあまり意味がないと思うようになり、子どもの頃に学校にいたフィリピン系の子のことを思い出す機会があって、じゃあ、僕にやれることは、そういう複雑なバックグラウンドを持つ、まだ観たことのないキャラクターや物語を切り開いていくことだと思いました。

――東京国際レズビアン&ゲイ映画祭(現レインボー・リール東京)で上映される海外のクィア映画を25年にわたってウォッチしてきて言えるのは、思春期の頃の性の目覚めとか、セクシュアリティを描くだけの作品は、もうほとんどなくて、それこそ性的マイノリティプラス人種的マイノリティの問題とか、「プラス何か」を描く作品が主流になっているということです。そういう意味で、『世界は僕らに気づかない』は世界的な潮流にも合っていると思います。海外でも評価されるんじゃないでしょうか。

飯塚:おっしゃる通りです。実は「こういう作品を作りたい」っていう相談を受けることもあるんですが、マジョリティの方が考えるのは、当事者が死ぬような作品がものすごく多くて、「もういい。そんなに殺さないで。ごく当たり前に幸せに生きて」って思います。

――ぜひ『Disclosure トランスジェンダーとハリウッド』を観ていただきたいですね。

飯塚:それと、性的マイノリティであることは個人のアイデンティティの一部であって、ということはすごく意識しています。

――今回の作品は、世間にもゲイのパートナーシップが当たり前に認められている世界線で物語が進んでいくので、監督はゲイであること自体を苦しいこととして描きたいわけじゃないんだな、と思いながら観ていました。苦しさを描くシーンもないわけではないのですが、後ろのほうに寄せられています。そことも関連するので、ちょっとお聞きしてみたいのですが、主演の堀家一希さんやガウさんがとても素晴らしいということは言うまでもなく、この映画を支える大黒柱だと思いますが、キャスティングに関して印象的だったのは、『フタリノセカイ』で素晴らしくクィアな役を演じた松永拓野さんが、今回、本当に嫌な奴として登場していたことです。同じ俳優でこうも違う役を与えられるのか…と。何か意図があるのでしょうか?
 
飯塚:松永くんは長いつきあいで、役者として信頼してるんです。『フタリノセカイ』は、当事者を起用するかどうかの選択があって。僕自身は、当事者が出たほうがいい、でも当事者でなくてもいい、という半々の考えで。当事者がただでさえ、雇用の機会が少なくて、マジョリティの世界で作られ、マジョリティが評価して、マジョリティで完結するのはよろしくないと思っています。

――本当にそうですよね。

飯塚:でも、きちんとしたリサーチをしたうえで、演技に真実があれば、当事者じゃない人が演じてもいいと思っています。松永くんは、自分の中のクィア性を引き出して真摯に演じてくれるという確信があったので、彼に委ねたんです。すごく重要な役です。彼だったらやってくれるという信頼があって、託しました。今回は、あそこでちゃんと嫌な思いをさせないといけない、端役だけど重要なシーンでした。なので、物語のなかの役割をきちんと把握して、どう演じるべきかわかってくれる人として彼を起用しました。

――なるほど、よくわかりました。『フタリノセカイ』も『世界は僕らに気づかない』も群馬で撮影されていて、都会ではない、地方の町だからこその独特の寂寥感や温もりのようなものを感じさせます。故郷の群馬を愛しているからこそではあると思うのですが、私もそうですが、故郷を出て東京に行く人も多いなか、地元に留まって、トランスジェンダーであることもオープンにして映画づくりをしているのは、素敵だなぁと、地方に暮らすLGBTQのロールモデルでもあると感じます。群馬で映画を撮りつづけることのこだわり、思いについて、お聞かせください。
 
飯塚:ずっと群馬にいたわけではなく、実は一度上京してるんです。大学を卒業して、映画の仕事をするなら東京だと思い、6、7年は東京にいて映画の業界に入っていったのですが…ひとことで言うと、居心地が悪かった。商業映画なので当然、興行成績とかを意識するわけですが、いいものを作ろうと思ったときに我慢しなければいけないことが多すぎる。日々不平不満を言いながら生きてる状態。東京の街も肌に合わないし、ストレスを抱えながらやっていた。それで、「群馬に帰るか」と思いました。言っても東京まで片道2時間で日帰りで行って帰って来れる距離ですし、地元の群馬で、心地よく映画づくりができる環境で、自分がいいと思える制作やスタッフを用意して、いいものを作ろうと思い、やってみたら、「できたな」と。今回のフィリピンパブのシーンも、高崎の実際にあるお店を借りて、そこで働いてる方に出てもらったんですが、あれを美術のセットでゼロから作っても、どっかでうそが写ってしまうなと思って。足を運びながらロケ地を探すというアナログなやり方をしたおかげで、映像に温もりが宿ったと思います。

――そういうふうにしてこそのリアリティ。にじみ出るものがありますよね。


――話はがらりと変わるのですが。2018年のお茶大トランス女子受入れ表明の頃から、ネット上でトランスヘイトやバッシングが急に増えてきて、特にトランス女性の方が、すごく傷ついたり、苦しんだり、生きていけない状況になっています。そのことについて、思うことがあれば、聞かせてください。

飯塚:僕自身もトランスジェンダーで。トランス男性とトランス女性では大きく違うので、一概に自分と同じこととして語れるものではないのですが、マジョリティの方々にお伝えしたいのは、想像をふくらませてほしいということ。たまたま生まれた時に女性の体を持っていたけど今は男性として社会で認知されている、たったそれだけ。トランス男性は男性だし、トランス女性は女性、というシンプルなこと。何かそのことで他人に危害を加えることがあるでしょうか。僕自身が友人や仲間たちを見ていて思うのは、彼女たちだけに戦わせるのはかわいそうだということ。辛すぎる。プライベートな肉体のことを聞かれたり…どんな人間であっても屈辱ですよね。ちょっと想像すればわかる。これからトランスの方と出会う、アライになろうとする方は、ぜひ援護射撃をしてほしいです。手助けして、彼女たちを守ってほしいです。

――本当にそうですよね。また、最初におっしゃったように、映画もマイノリティへの理解や支援につながるわけですから、飯塚監督の作品や、トランスジェンダーを描いた良い作品を観ていただくことも一つかなと思います。最後に、今後こういう映画を撮りたいという構想や予定があれば、教えてください。

飯塚:まさにトランス女性を描く映画を撮ることになっています。今話していたような援護射撃になる作品。世の中の価値観をアップデートしたい。すでにトランス女性の当事者の方たちに声をかけてオーディションもしました。そこでわかったのは、オープンにしづらくなってしまっている現状があるということ。かつては芸能界を夢見ていたけど、ハードルがあってやめてしまったという方がすごく多くて…。それでも、トランス女性を描く映画を世に送り出すことで、「夢をあきらめなくていいんだ」「私にも役があるんだ」と思ってもらえるし、そのこと自体に意味があると思っています。

――素晴らしい! 知らなかったです。完成が本当に楽しみです。

飯塚:無事にできあがるよう、祈っててください。

――応援します。今日はどうもありがとうございました!

ジョブレインボー
レインボーグッズ