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レポート:みやぎにじいろパレード2022

2022年6月12日(日)、仙台でみやぎにじいろパレードが開催されました。直前に奇跡的に雨が止み、約150名の参加者のみなさんが晴れやかに市内の目抜き通りを行進しました。パレード後のプライド集会も感動的で、仙台のコミュニティの温かさが感じられ、とてもよかったです。

2022年6月12日(日)、仙台でみやぎにじいろパレードが開催されました。事前の天気予報から、今回ばかりは雨のパレードだろうと覚悟していたのですが、直前に奇跡的に雨が止み、約150名の参加者のみなさんが晴れやかに元気よく市内の目抜き通りをパレードしました。パレード後のプライド集会も、一人ひとりのスピーチにあたたかなエールが送られ、感動的で、とてもよかったです。レポートをお届けします。
(文:後藤純一)



仙台のコミュニティへの思い

 仙台は言うまでもなく東北一の大都市であり、東北のゲイコミュニティの中心地でもあります。仙台には2000年代からゲイ・バイセクシュアル男性向けにHIV予防啓発等の活動を行なう「やろっこ」という団体や、LGBTQのことに取り組む「Anego」という団体が活動してきましたが、本来の活動だけでなく、仙台でゲイナイト(ゲイのクラブイベント)が全くなかった時期に(私も協力させていただいて)5年ほどイベントを主催し、自ら仙台のシーンを盛り上げていました。2010年には「community center ZEL」もオープンしました。「ZEL」のスタッフを務めることになったのは、ゲイナイトで日本最年長の「アラカンGOGO」として活躍していたGENさんという方でした(注:GOGO BOYとはパンツ一丁でセクシーに盛り上げるダンサーのことで、ドラァグクイーンとともにゲイナイトの主役を務めます)

 しかし翌2011年、宮城県は東日本大震災で甚大な被害を受け、コミュニティセンターもめちゃくちゃになり…しかし、スタッフの皆さんの懸命の努力で1週間後に奇跡的に再開し、心細い思いをしているLGBTQの方々の拠り所となりました(のちに「被災とセクシュアル・マイノリティ」というシンポジウムで「やろっこ」代表のふとしさんが、石巻出身であるGENさんが70名以上も友人・知人を亡くしていながらコミュニティセンターの復興に尽力してくれたと、嗚咽を漏らしながら語った姿は、今でも忘れることができません…)。東北では、震災の後、いろんな所でLGBTQ支援団体や当事者グループが立ち上がり、ネットワークができていったそうです。
 
 東北出身のゲイとして(裏磐梯のスキーイベントとともに)仙台のゲイナイトも微力ながら応援してきましたが、いつ行っても仙台のみなさんはあたたかく、応援しに行ったのにこちらが癒されて帰ってくるような感じでした。都会だけど「人情」とか「ぬくもり」という言葉がふさわしい街です。
 そんな仙台で、もともと「やろっこ」が含まれていた東北HIVコミュニケーションズの活動にも携わっていて、実は東北で最も古くから(90年代前半から)同性愛者団体を立ち上げて活動していた小浜さんが呼びかけ人となって、みやぎにじいろパレードが開催されると聞いたときは、ぜひ行かなくては、と思いました。
 しかし、2020年7月に初開催される予定だったみやぎにじいろパレードは、コロナ禍で中止となり、翌2021年は、オンライン開催(実行委員会の少数の方たちだけでパレード)となりました。今年ようやく、念願かなってリアル開催され、一時期は毎年通っていた、思い出が詰まった仙台の街で、ついにパレードを歩けるということに、感慨を禁じえませんでした。
 
 

みやぎにじいろパレード2022 レポート
 
 仙台はパレードの前日は大雨で、当日の天気予報もずっと雨マーク…という状況で、公式Twitterで雨天決行ですとアナウンスされていたので、中止になることはなさそうで、それはよかったのですが、雨のなかでのパレードは厳しいな…と悲しみに包まれていました(これまでに雨で二度、デジカメを壊しているので…今回はカメラを持たずスマホで撮影しようかな、と悩んでいました)
 当日の朝、やっぱり雨だったのですが、意を決してデジカメやパレードグッズをバッグに詰めて、傘をさして外に出ました。仙台駅前周辺をちょっとブラブラし、ちょっと時間は早かったのですが、仙台に来ているはずの友人(パレード参加回数日本一の人)に連絡を取り、仙台駅の駅ナカにある「HACHI」という協賛店でランチをすることにしました(ナポリタンで日本一に輝き、サンドイッチマンの富澤さんもオススメしている洋食屋さんです。ものすごい行列でした)
 そうして13時前くらいにお店を出ると、なんと、外は雨がやんでいるではありませんか! これにはさすがにたまげました。名古屋や秋田に続き、雨予報を覆してパレード直前に雨が上がったのです。この現象に何と名前をつけたらいいでしょうか? ともかく、みんなの願いが天に届き、みやぎにじいろパレードは、奇跡的に、傘なしで開催できたのでした。



 13時半頃、集合場所の肴町公園に着きました。パレードの主催の方たちにご挨拶したり、シゲ先生など東京から駆けつけた方たちにもご挨拶し、そうこうしているうちに、オープニングイベントが始まりました。三人の共同代表(みなさん若い方たちです)のお一人が、「生きやすい社会にという思いで、共同代表になりました。1年前まで山形にいて、同性パートナーのことが周囲にバレたら死ぬと思ってごまかし続けて、でも心の中ではおかしいと思っていました。そんな私を理解してくれる方が現れて、自分のままでいいんだと思えました。みなさんのおかげで、この場があります。本当に感謝しています」と語り、あたたかな拍手が送られました。
 そして、みやぎにじいろパレードの合言葉「I have pride!」をみんなで言う練習をして、パレードがスタートしました(合言葉は「Happy pride!」と決まっているわけではなく、各地で違っていて全然いいと思います。その言葉に主催者の方々の思いが宿っていますし、それぞれの地域で何を大切にしているのかということもわかって、とてもいいと思いました)。公園の地面は雨であちこちぬかるんでいたのですが(青森のパレードじゃないですが、足下が文字通り泥沼でした)、そんなの関係ない!って感じでみなさん、うまく水たまりを避けて、意気揚々と出発していました。







 パレードは、肴町公園を出発し、仙台随一の大通りの一つ・青葉通に出て、アーケードの商店街・ブランドームを通り、広瀬通を渡り、三越の横を通って、定禅寺通を渡って勾当台公園市民広場へという、国分町(東北一の繁華街。ゲイバーも国分町にあります)をぐるっと囲むような感じの、とてもいいコースでした。
 先頭では共同代表の方たちがメッセージを読み上げ、その後ろをとてもドレッシーな格好の女の子の集団が歩き、仙台七夕の吹き流しを模した衣装の方たちや、東北のろう者のLGBTQのグループの方たちなど(うちお一方はゲイのイラストレーターの方のデザインの浴衣を着ていて素敵でした)、おしゃれな参加者も多く、さすがは仙台だなぁと思ったり。音響機材を積んだトラックなどはなかったものの、背中にスピーカーを背負って音楽を流して歩いている方もいました。
 ブランドームでは、小野寺真さんが、トラメガを持って、参加者のみなさんにスピーチを促したり(私も少し「青森出身のゲイです。故郷を帰れる街に!」とかしゃべらせてもらいました)、「I have pride!」とみんなで言うように盛り上げたりしていたのもよかったです。元気よく声を上げている方がとても多かったように感じました。
 










 市民広場に着くと、シャボン玉を飛ばしてお出迎えしてくれた親子さんがいて、とても素敵でした。みんなで集合写真を撮り、少し休憩してから、プライド集会が行なわれました。ちょっと長くなりますが、内容をダイジェストでご紹介します。
 まずは青森でコミュニティづくりに取り組んでいる「そらにじ青森」の方。「先週は、青森レインボーパレードに来てくださって、うれしかったです。また来年、ぜひ青森に来てください」とさわやかに語りました。
 それから、ふくしまレインボーマーチを主催する方。前川直哉さんは「青森と秋田はパートナーシップ制度を導入しましたが、宮城はまだです、村井さん! 福島もまだですが。ふくしまレインボーマーチは、たぶん10月に開催します」と語りました。いわき市で「さんかく」と言う居場所づくりをしている方もご挨拶していました。
 秋田プライドマーチの真木さん。「先日、1回目を開催できました。反響も多く、うれしいです。宮城でも一緒に歩けてよかったです。東北全体で歩けることを祈っております」
 ろうLGBTQ東北の方。「私は岩手に住んでいます。コロナで活動が難しかったのですが、今日参加できてうれしいです。仲間がいることの喜びを感じます。一緒に社会を作っていきましょう。この輪が広がることを願っています」
 それから、県や市、協賛企業のみなさんへの謝辞(配布されたパンフレットにコメント等が掲載されています)
 続いて、代表の方々の挨拶です。
 共同代表の方は、「半年前から企画してきました。数年前まで“男らしさ”の押し付けを深く考えてなくて、私自身、人を傷つけてしまうこともあったと思い、だからこそ身の回りの差別がなくなるようにと思いました。パレードを通じて東北でも性の多様性や人権についての長い歴史に敬意を表すること、プライドを持つことについて考えるきっかけにしたいと思います」と語りました。
 このパレードの呼びかけ人でありメンター的な存在の小浜さんは、仙台でパレードが実現するまでのストーリーを、万感の思いを込めて語ってくれました。「40年前仙台に来て、その頃はクローゼットだったのすが、府中青年の家の裁判が始まったことにも触発されて、29でゲイシーンに飛び込み、しかし、一人でプライドを持つということは大変で、つながりながらエンパワーしてきました。1992年、札幌や名古屋から仙台に来て合宿をして、ゲイ&レズビアンのサークルができました。震災のあと、各地でいろんな活動が起こり、2015年から団体が集まって「東北レインボーSUMMER」というイベントを開催しました。2016年に「OUT IN JAPAN」の写真撮影があって、さらにつながりが生まれ、仙台市の後援で男女共同参画のところにLGBTQのことも入れてくれるようになり、市とにじいろ協働事業をやって、ボランティアがたくさん集まってくれて。それを2年やったあと、自分たちで続けようということで「にじいろCANVAS」という団体が生まれ、そこでパレード開催を呼びかけて、実行委員会が構成され、声を上げることができるようになりました。こんなに大きくなったのは若い人たちのつながりのおかげです。これからまだまだプライドや尊厳が守られるよう、主体的に街づくりに参加できますように。プライドの道は始まったばかりです」
 共同代表のれなさんは、「私のプライドの原点はレスリー・キーさんが撮ってくれた『OUT IN JAPAN』でした。カミングアウトできる自信が持てました。その一歩は途轍もなく大きな一歩。仲間がいるということ、一人ひとりの色があることの幸せ。最後に笑顔で、最高の人生だったと思えるように。自分を殺さないで。必ずあなたの周りに支えてくれる人がいるはず。あれから6年経ち、制度は何も変わってない。パートナーシップ制度や同性婚が実現してほしい。カミングアウトは勇気がいることだけど、いないとされることは、人権がない状態にもなってしまうし、精神疾患や自死にも…。だから、仙台にもいるよ、と伝えられたら。ありのままで暮らせる仙台に」と語りました。
 ここで、実行委員のなかでカミングアウトできない方のストーリーの代読が行われました。「私には何個か、LGBTQ以外にもマイノリティ性があります。コミュニティでも理解されず、部外者扱いされることが多く…そういうことが何度もありました。最初はオープンにしてたのですが、マイナスに感じ、今はクローゼットにしています。私はトランス男性でゲイであるとか、Xジェンダーで障害者であるとか、いくつものマイノリティ性を抱えている人が仙台にもいます。そのことを知っていただきたいです」
 小野寺真さんは、手話も交えながらお話していました。「私はトランス男性です。生まれも仙台。中学のとき、同級生がゲイカップルを指して気持ち悪いと言ったんです。私は何も言えませんでした。自分もセクマイだとバレたらどんな目にあうか…怖かったからです。でも、今、こうやってみなさんと一緒に歩けたこと、本当にうれしいです。涙が出ます。プライドを持てたと感じます。今、ネット上でトランス女性へのヘイトがすごくて、とても悲しいです。パレードでそのことも知ってもらえたらと思っています。共同代表の3人は本当に頑張ってました。拍手。最後に、妻と家族に感謝」
 それぞれのスピーチに、大きな拍手や声援も送られたりして、あたたかい雰囲気でした。レインボーマーチ札幌のプライド集会を思い出しました。
 集会のフィナーレは、パレードの先頭を素晴らしくカッコいい衣装で歩いていた集団、仙台唯一のレズビアンバー『楽園』のみなさんによる、メンバー紹介のパフォーマンスでした。
 最後にもう一度集合写真を撮り、解散となりました。












 パレードが終わった後、会場のすぐ近くにあるコミュニティセンター「ZEL」を訪れました。ふとしさんにもGENさんにもひさしぶりにお会いできて、いろんな話ができて、楽しかったです。コロナ禍で、仙台のゲイバーは以前の半分くらいに減ってしまい(残念ですね…)、ちょっとセクシーなイベントをやっていたお店も東京に移転してしまったということで、「ZEL」でマスクを着用しながらのアンダーウェア交流イベントを開催することにしたそうです(他の地域のコミュニティセンターでそこまで頑張って街のゲイシーンの盛り上げに貢献しているところはないです。その努力に頭が下がります)
 パレードを歩き終えた東北各地のみなさん(女性も多数)が次々と「ZEL」に来られていて、東北のLGBTQコミュニティとしっかりつながり、結節点というか「ハブ」のような役割も果たしているのだなぁということも実感できました。
 
 パレードもプライド集会もとても素晴らしかったですし、コミュニティセンター「ZEL」でも楽しい時間を過ごし、充実した気持ちで帰路につくことができました。

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