FEATURES
【PRIDE月間企画】トランス女性を支援したいというアライとしての心意気――映画『片袖の魚』東海林毅監督インタビュー
日本で初めて、公募で選ばれたトランス女性がトランス女性の役を演じた記念碑的な映画『片袖の魚』。逆境にあるトランス女性をなんとかして救いたいという一心でこの映画の製作に踏み出した東海林毅監督に、トランス・アライとしての思い、そしてセクシュアルマイノリティとしてのPRIDEについてお聞きしました。
日本で初めて、公募で選ばれたトランス女性がトランス女性の役を演じた記念碑的な映画『片袖の魚』(レビューはこちら)。逆境にあるトランス女性をなんとかして救いたいという一心でこの映画の製作に踏み出した東海林毅監督に、トランス・アライとしての思い、そしてセクシュアルマイノリティとしてのPRIDEについてお聞きしました。(聞き手:後藤純一)
東海林毅(しょうじ・つよし) 映像作家
武蔵野美術大学映像学科在学中から映像作家活動を開始し、1995年に第4回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭コンペ部門にて審査員特別賞を受賞。『劇場版 喧嘩番長』シリーズや『お姉チャンバラ Vortex』『はぐれアイドル地獄変』などの商業作品を監督する一方、VFXアーティストとしても幅広く活動し、NHK BSPの科学史番組「フランケンシュタインの誘惑」では放送開始時よりVFXを務める。近年では『老ナルキソス』(2017)、『ホモソーシャル・ダンス』『帰り道』(ともに2019年)など、自主制作した作品が国内外の映画祭で高い評価を得ている
――『片袖の魚』を拝見し、トランス女性の生きづらさが描かれているだけでなく、他の女性と全く変わらない、仕事や恋に生きる姿が生き生きと描かれていて、本当に素晴らしい作品だと感じました。そしてやはり、主演のイシヅカユウさんの魅力が光る作品だなぁと思います。今回、イシヅカさんを主演に選んだのは、どういうところで?
一般公募でトランス女性のオーディションを行ない、20名くらいの応募がありました。学生さんや、昼職の方、いろんな方が来られました。みなさん、口を揃えて「チャンスを待ってた」とおっしゃって。性別移行中の方もいらしたので、リアリティが出るかもしれないとか、いろんな思いもめぐったりして。なのですが、演技経験がある方やカメラ慣れしている方、特に、見られることを前提とした立ち居振る舞いに慣れている方は限られていましたし、主役の友人の役もあって、2人を採用することにしていたので、その組み合わせも考え。最終的には、自分に自信を持ち、カミングアウトしていた方というところで、順当にイシヅカさんに決まりました。
――東海林監督は、トランス女性がトランス女性の役を演じるという当事者性にこだわって、この作品を作りました。その思いをお聞かせください。
飲みの席で、畑野とまとさんと、トランスジェンダーの役はトランス当事者に、という海外でのムーブメントについて、話をしたことがあって。とまとさんは「当事者が演じるべき」と言って、しかし僕は、映画業界人として、「言いたいことはわかる。でもそれを実際にビジネスとして、興行収入、観客動員、テレビで言うと視聴率、ということを当事者で担保できるか」ということを考え、「キャスティングの幅も限られる。かなり少ない。日本では無理ですよ」と言ってたんです。でも、あとで考えたんです。「業界人が誰もそれをやらないからだ」と。これは誰かがやらなければいけないことだ。僕はそれをやれる立場にある。自己資金でやるのであれば、誰にも迷惑をかけない。今これをやらなくてどうする、と。
――そうでしたか! 畑野とまとさんのつながりだったとは知りませんでした。LGBTQの映像作家の中でもトランスジェンダーのリプレゼンテーションについてきちんと考えて映画を撮ろうとする人は今までほとんどいませんでした(浅沼さんの『I Am Here ー私たちはともに生きているー』がドキュメンタリーとしての画期でした)。そういう意味で、監督の決断は本当に意義のあることだと思います。例えば『ミッドナイトスワン』なども(こちらやこちらで問題点が指摘されていますが)LGBの間では手放しに称賛していた方がかなり多くて…LGBですらそうなのだからシスジェンダー・ストレートの方はもっとそうだと思います。昨今のトランス女性バッシングの状況などにも鑑み、トランスジェンダーがメディアで公正に描かれることの意義がますます高まっていると思います。その辺りについて、再度、監督のお考えをお聞かせください。
過去の作品も含めて言えることですが、『ミッドナイトスワン』の草なぎさんの演技を褒めることは別におかしなことではないです。ただ、トランスジェンダーの役をシスジェンダーが演じることで固定化されてしまっているという日本の現状をまず解消しましょうよ、と。トランスジェンダーの役を昔からシスジェンダーの俳優が演じてきて、誤った表象が積み上がっている、偏見が再生産されるという繰り返しに、どこかで楔を入れる必要があると思いました。当事者の俳優がどんどん表に出て、たくさん活躍の場が与えられるべきなのに、現状はそうなっていないし、観客も積み上げられた誤った表象が正しいと思っているのではないか。ロールモデルがいないこともあり、俳優を志すトランスジェンダーがまだまだ少なく、映画製作に際してキャスティングの選択肢が限られ、無名の俳優を起用するのはリスクと捉えられ、当事者の俳優にチャンスが与えられず、育たない…という悪循環に陥ってしまうのを断ち切らないと、という思いがありました。
――とてもよくわかります。そういう意味で、今回、イシヅカユウさんという最高に素敵な方が現れて本当によかった、希望の星だと感じます。東海林監督自身はシスジェンダーの方だと思いますので、そういう意味では、トランス女性を応援するアライとしてこの映画を製作したわけで、その正義感のような思いや真っ直ぐさにも胸を打たれます。トランス・アライである、支援者であるということへの自負、思いなどあれば、教えていただけますか?
この映画を撮ろうと決意したきっかけは、TERFと呼ばれる人たちを中心に、トランス女性に対する攻撃が激しくなったことです。トランス女性をめぐる言説は、トイレや銭湯にしても、最近のスポーツに関することにしても、ほぼほぼデマですよね。シス男性が突然「今日から私は女だ」と言って女子トイレや女湯に入ってくる、といったありえない話、藁人形論法で恐怖を煽り、トランスフォビアを助長させています。これは歴史を振り返ると、他のマイノリティも散々やられてきたことで、関東大震災の時には朝鮮人が井戸に毒を投げたというデマで虐殺され、ハンセン病患者は「伝染するぞ」と言って隔離され、エイズはゲイの病気だと言われ、たくさんのゲイが政府の無策ゆえに命を落としてきました。今、同じようにトランスジェンダーが攻撃されています。今ここで食い止めなくてはいけない。これはトランスジェンダーだけではなく、あらゆる人たちに関係のある問題です。
実はオーディションのとき、複数の方から「いま私たちトランス女性はネット上で攻撃を受けやすくなっています。もしかしたらあなたも攻撃されるかもしれませんが、大丈夫ですか?」と言われました。ショックでした。こんなに追い詰められてるんだ…と、頑張ろうと思いました。
――そんなに追い詰められているにもかかわらず、監督さんの心配までしてくれる当事者の方たち…胸が痛みますね…。ちなみに監督は、先日の24時間シットインの朝方の抗議デモにも参加してマイクを握り、「すでに一緒に生きているトランスジェンダーを排除する発言。優生思想丸出しの発言。こうした発言が殺すのは、過去の私たち、まだ見ぬ誰かです。真摯に反省し、謝罪と撤回を行なってください」という素晴らしいスピーチをなさいました。その時の思いについても、お聞かせいただければ。
いてもたってもいられず、駆けつけました。僕も実は、そこまで、LGBTQの権利とかを真剣に考えていた人ではありませんでした。きっかけは3年前の杉田水脈の発言。二丁目の「オカマルト」というお店で、そこにいたお客さんたちがみんな「ひどいよね」と言っていて、「明日、自民党の前でデモやるらしいよ」「へええ」みたいな話があって、「あ、そうなんだ」と思って。で、翌日、行ってみたら、みんなそこにいたんです(笑)。あの時は、シンプルに怒りを覚えました。権力者がマイノリティを排除する思想への恐怖。あの時から、ちゃんと考えるようになりました。
――そうでしたか。私自身もそうですが、杉田発言で初めてああいう抗議デモに参加した方、多いですよね。ある意味、日本のストーンウォールとも言うべき出来事だったと思います。話は変わって、東海林さん自身のLGBTQコミュニティ内の立ち位置や、セクシュアリティについて、お聞きしたいと思います。東海林監督は2018年のレインボー・リール東京のコンペに『老ナルキソス』を出品してグランプリを獲得しましたが、その時に、第4回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭のコンベで受賞したことをきっかけに、ご自身もバイセクシュアルであるとのアイデンティティを得られたと語っていたかと思います。その辺りのお話、バイセクシュアリティについて教えてください。
僕は金沢の田舎で育ち、中学の頃から男性に惹かれてはいたけど、おつきあいしたのは女性で、その後も男性が好きになることがあって、自分が何なのか迷っていたんですね。で、東京国際レズビアン&ゲイ映画祭に参加したとき、バイセクシュアルと書いてあって、もしかして自分はこれなのか?と。その時に出した映画は、セクシュアリティで悩む男の子が主人公で、悲観的な…でも最後には全てを投げ捨ててセクシュアリティを肯定するというお話でした。
――ご自身の体験が反映されていたのでしょうか?
そうですね。カミングアウトして楽になりたいという気持ちもありました。
その映画で賞をいただいた後、ようやく周りにもカミングアウトできるようになって。二丁目にも行くようになりました。でも、二丁目では「バイは信用できない」と言われたりして、そういう感じなのか、と。やがて距離を置くようになりました。
――そうでしたか…。私も二丁目にどっぷり浸かっていた人間なので、耳が痛いと言いますか、そういうバイフォビアを自分も持っていたかもしれないと思い、心苦しいです…。でも、今はこうしてLGBTQコミュニティに戻ってきてくださって、うれしいです。今後撮ってみたいクィア作品の構想など、ありますか?
実は、過去の短編作品を長編版にしようとしていて、高齢の世代のゲイと若い世代の認識のずれ、同性婚に関する考え方の違いなども織り込みつつ、よりセクシャル、ポリティカルな作品にすべく、製作中です。
――へええ! それは楽しみです。それでは最後に。東海林さんにとってのPRIDEとは何ですか?
自分自身の、セクシュアリティ的な規範から逸脱しているところをとにかく肯定すること、だと思っています。中学の時に男の子を好きになったり、SMが好きだったり、アニメおたくでもあったりして、それは「誰にも知られてはいけないこと」だと感じて、抑圧してしまっていました。でもいまは、それをこそ表現していこうと思っています、誇りを持って。
――素晴らしいです。今後も東海林監督の作品を楽しみにしています。どうもありがとうございました!
片袖の魚
2021年/日本/34分/監督:東海林毅/出演:イシヅカユウ、広畑りか、猪狩ともか、黒住尚生、原日出子ほか
新宿K's cinemaにて7月10日から公開。以降、順次全国公開予定
- INDEX